無私の創り手たち
金曜日の仕事帰り、東京国立博物館に寄りました。特別展が開催されている期間、金曜夜は8時までの開館です。平成館で行われているのは「皇室の名宝 日本美の華」の1
期でした。第1章「近世絵画の名品」として、桃山時代の障壁画や伊藤若冲が相国寺に寄進した『動植綵絵』など、第2章では「近代の宮殿装飾と帝室技芸員」というタイトルで明治以降の宮殿を彩った美術品の数々が展示されていました。
伊藤若冲は近年とても人気が上がり、若い人たちにもそのビビットな感覚がうけているようです。京都・錦小路の青物問屋「桝源」の長男として生まれたものの、40歳でこの大店を退いて絵に打ち込んだといいます。これまでは絵にしか興味のない引き籠りのような人物であったとも評されていましたが、昨日の日経新聞の文化欄の記事を読むと、近年の研究ではまた異なる人物像が描かれ始めているということです。
記事によれば、「京都錦小路青物市場記録」という資料を見ると、奉行が市場の営業差し止めを命じたのに対し、若冲は年寄役として奔走して市場再開へと努力した、ということが分かるそうで、目標に向かってパワフルに活動する姿もみえるようです。もちろん、ひとりの人間の人生を振り返れば引き籠る時期もあれば、外で精力的に働くこともあるでしょうから、その二つの見方はそれぞれに真実の若冲の姿なのだろうと思われます。
今回、大きな1室に『動植綵絵』30幅がずらりと並べられて、その威力に私などは、たじたじとなってしまいました。1幅のパワーだけでも見る者を圧倒する若冲の絵が30も並ぶ凄さは、すさまじいものがありました。
しかも、この30幅は相国寺に両親と自らの永代供養を願うためにと、真剣に描かれたものなのです。30幅のすべてに裏彩色という技法が使われ、できる技と力を注ぎこんだ作品です。もともとは『釈迦三尊像』と一体のものとして寺に納められたものが、明治の廃仏毀釈の世に『動植綵絵』だけが皇室へと献上され、その代わりとして1万円が下賜され、寺の存亡の危機を救いました。2007年の足利義満600年忌の際には、相国寺承天閣美術館でこの『釈迦三尊像』3幅と『動植綵絵』30幅とが再開する展観が行われたということです。
それにしても、『動植綵絵』も、第2章の「近代の宮殿装飾と帝室技芸員」で紹介されている作品群も、実に丁寧な作品が並んでいる展覧会です。それはその時々の大きな寺や皇室という、ある意味での権威に対して、最高の物を誂えようとする気持ちからなのか、とも思いましたが、もしかすると、それ以上の何かなのかもしれない、と考えました。つまり、もの創りをする人間にとっては、自分として最高のものを作ろうとする時、それは自分への挑戦でもあり、また、無私の奉仕でもあるのだろうと考えると、具体的な奉仕の対象が誰であるかということはあまり意味を持つものではなくなり、自らの「出来る限り」により近づこうとしてしまうのではないか、と考えました。
デザインにも色にも質感にも一分の隙もないようなさまざまな作品群を見ていると、時に息苦しささえ感じるのですが、それはその作品が贈られた対象が、現実の人ではなくて、自らの「限界」に対する答えを出そうとしているからなのかもしれない、と思いました。
でも白状してしまえば、私の場合は、こうした限界に挑戦した名宝よりは作者自らの一番美しいと感じるところを作品にしたような人間的な作品の方が好きで、たとえば若冲の部屋の次の展示室で見た応挙の虎や酒井抱一の花鳥画にほっとしてしまったのですが。
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)




最近のコメント