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安徳天皇の檜扇

itukusima
 桜の終わってしまった上野の山を通って、東京藝術大学美術館の厳島神社国宝展に行きました。昨年9月の台風18号で大きな被害のあったことから、その復興支援にと企画された国宝展です。
 
 今回、奈良国立博物館で5期、東京藝術大学の大学美術館では会期を4期にわけて展示替えをし、国宝の『平家納経』33巻を全て展示するそうです。つまり、奈良と東京の9期にすべて行くことができれば、33巻の『平家納経』を全部見られるのですが、なかなか、そうできる人は少ないことと思います。私が見たのは東京の2期目(17日まで)の展示で、5つの経典が出ていました。
 
 経典ですからもちろん紙でできていますが、金銀の砂子、截箔、裂箔でびっしりと飾られ、銀製鍍金の題箋、端には透かし彫りの金具があり、水晶や螺鈿の軸首のついているこれらの巻物はとても重々しく、いかにも「宝物」という感じがしました。昔話の桃太郎などで、鬼退治から帰ってくる絵に、よく金銀珊瑚に混じって巻物がありましたが、あれはこのような美しい経典を表していたのでしょうね。
 
 『紺紙金字法華経』も出ており、初めの数行を平清盛が書き、残りを頼盛が書写したというものを見ましたが、清盛入道の字が案外と繊細な文字に見えて、少し彼の性格を考え直しました。戦いの人生を送った彼は、何を思いながら金字のお経を書いていたのでしょう?
 
 『平家納経』と清盛の文字の他に、もうひとつ見入ってしまったものがありました。それは、安徳天皇の玩具だったという伝承を持つ小さな檜扇です。源平の合戦の末に西海に身を投げてしまう平家の女房たち。そして、その胸には幼い安徳天皇も、というシーンは幾度となくテレビドラマで見ていますが、本当にこれらの檜扇がその帝の手に触れたものかはわかりません。むしろ、幼帝が亡くなった後、その魂のためにこのような平和な画題の檜扇を作ったようにも思えました。
 
 扇には、それはそれは繊細な筆使いで野原や浜辺であそぶ公達やら、騎馬する人物、鶴亀、牛車などが描かれています。 日本人は物を凝縮していく性癖がある、という説がありますが、これらの扇を見ると、確かにそうかもしれない、と感じました。こういったミニチュアは江戸時代独特のものかと考えていましたが、どうやら、すでに平安時代にもそうした傾向はあったのですね。手先の細かい仕事が好きな人間が、確かにいたのです。
 
 これらの扇は厳島神社の御神宝です。御神宝というものは普通の大きさでなく小さめのサイズで作られることも多いということで、この扇の他にも小さな装束がありました。
安徳天皇が扇を玩具にしたかどうかはともかく、このようなかわいらしい扇や装束を作る傍らには、好奇心旺盛な貴族のお嬢さんがのぞきこんでいたのでは、とまた、想像力を発揮して平安時代へのタイムトリップを楽しんできました。

(写真は同展のちらし。平家納経 法華経 薬王菩薩本事品題二十三 が載っています。)

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コメント

こんばんは
ごぶさたしています
書き込みできるのに気づいて
文と関係ないごあいさつで
失礼いたします

はじめまして。
私も厳島神社国宝展を見てきました。
やっぱり安徳天皇の檜扇がとても気に入りました。

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