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弥勒菩薩の来た道

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 東京国立博物館で中宮寺の半跏思惟菩薩を見てきました。そこで、今日は弥勒菩薩のきた道を辿ってみようかと思います。
 まず、私の持っている過去の展覧会の図録から弥勒菩薩や半跏思惟像を探してみました。さほど数は多くありませんが、2−3世紀以来各地で作られた弥勒仏や半跏像が見つかりました。
 写真は2002年の7月から9月にかけて東京藝術大学 大学美術館で開催されていた『アフガニスタン 悠久の歴史展』の図録の表紙と今回の中宮寺の半跏菩薩像が表紙になっている『東京国立博物館ニュース』です。アフガニスタン展ではハッダ出土の「弥勒菩薩交脚像」(3−4世紀)が表紙を飾っていました。この2つの像の間には数百年の時が流れているのですが、どちらもそれぞれに美しい姿です。しかも、憂いをふくんだ表情や青年の未完成の骨格という点では共通したものが感じられるのが不思議です。ゆっくりと仏教がインドから西域、中国、朝鮮を経て日本にやってくるのに大切なものが取り落とされることなく伝わったのでしょう。

 弥勒菩薩は未来に現れる仏です。釈迦が亡くなって56億7千万年後に兜卒天というところから我々の住む世界にやって来て竜華樹という木の下で3回説法をし、衆生を救うとされる仏で、そのことは3世紀から4世紀ごろにかけて書かれた『仏説弥勒菩薩上生兜率天』、『仏説弥勒下生経』、『仏説弥勒下生成仏経』という3部の経典にあるそうです。

 仏像も2−3世紀くらいのものから弥勒菩薩とされるものがあり、1988年の『ならシルクロード博』のとき開催された『シルクロード大文明展』の図録にはアフガニスタンのカブール北方にあるショトラクというところで発掘された『弥勒菩薩説法図浮彫』(ギメ博物館所蔵)が紹介されていました。この浮彫は台座とみられ、交脚の弥勒が中央で説法し、左右にはこれを聴く他の菩薩、2階のバルコニーには蓮華か棕櫚の葉を持つ女性たちがいて、さらに両端には2人の兵士が立っています。
 
また、同じ2−3世紀のものとして弥勒菩薩ではないのですが、『勉学』という題で釈迦が学校で学んでいる様子が浮彫にされているものがありました。1998年の『ブッダ 大いなる旅路展』で出展されていたものです。(神奈川・シルクロード研究所所蔵)後ろには樹木があり、野外の学校で生徒たちが筆記板を持ち、その筆記板にはカローシュティー文字というものが書かれているそうです。この中央の釈迦とされる人物の姿が交脚に描かれており、こうした青年期の釈迦像というものが後に経典として整理されていく弥勒仏のイメージと重ね合わされて交脚の弥勒さまができあがったのかもしれないな、と思いました。 

 ところが、5世紀の敦煌に現れる弥勒菩薩は憂いのない晴れやかなお顔をしています。手のひらは表に向け、体躯も堂々としています。古本屋で見つけた「別冊みずゑ」に「北魏」として載せられている275窟は1996年の『砂漠の美術館―永遠なる敦煌』展では「北涼」の窟として紹介されているのですが、ここの弥勒菩薩は胸を張った目のくりっとした像です。

 日本の美術館にある北魏の仏像で、大阪市立美術館の所蔵しているものは表には明るい表情の交脚像、裏には今回の中宮寺の半跏像と同じ双髷の菩薩が左右にえがかれています。未来仏として説法している様子と兜率天に上る前、あるいは上った後、考えごとをしている様子が別々に描かれているのでしょうか? この背面の半跏像を見ると、だいぶ中宮寺の像に近づいてきたな、という感じですね。

 北魏から東魏にかけての時代には服装も中国風になり、端正な姿の菩薩になっていきます。弥勒信仰は戒律を厳しく守るものであったため、儒教的な思想とも似ていたそうです。そして朝鮮半島では、この弥勒信仰がとても流行し、それが日本にも渡ってきたという解説を読んだことがあります。具体的にはどういうことなのか、よくわかりません。また機会があったら資料を調べてみたいと思います。

 この日本に来た姿の弥勒菩薩半跏像は、中国では釈迦の太子であった頃の像として解釈されることも多いそうです。唐や西域の国々ではむしろ、正面を向いて堂々とした姿の弥勒さまが見られます。どうやら、5−6世紀ごろには弥勒の二つのイメージができあがって、それぞれ、別の地域で流行していったように思えます。

 東京国立博物館の法隆寺館には法隆寺献納宝物の小さな金銅仏が並んでいますが、そこにも半跏像があります。四十八体のうち、十体の半跏仏があり、目をぬぐっているような姿や誰かに声をかけるかのような姿、あるいはくたびれて頬杖をついているような姿のいろいろな半跏像に出会えます。大半は7世紀の製作とみられ、朝鮮三国時代から飛鳥時代のものです。
 
 今回の中宮寺の半跏像はやはり飛鳥時代の作ですが、この時代には珍しい寄せ木づくりの木彫像です。石や金銅で造られていたものが木で造られ、またひとつ可能性を広げ、優雅さ、穏やかさの表現が進んだようです。わが国の国宝第一号である太秦の広隆寺の菩薩像ともよく似ています。また朝鮮半島にも、よく似た像があることを思うと、当時の半島と日本の関係も伺え、端正で穏やかな、少し憂いをふくんだ弥勒像に魅力を感じていた当時の朝鮮半島と日本の人々の共通の思いが感じられます。そのことを思うと、このところの日韓、日朝の関係というものが残念に思われます。
 
 弥勒仏500年の旅、ようやく中宮寺の像に辿り着きましたが、この後、弥勒信仰がなくなってしまうわけではありません。たとえば、明恵上人は必ず弥勒の説法に立ち会えるようにと鏡弥勒というものを造って、亡くなるときにこれを傍においています。でも、明恵上人という魅力あふれる人の話はまた長くなるので、別のときにお話させてください。

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