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ゴッホと明恵 ふたりの求道者

goghmyoue

 もう1と月くらい前になるのでしょうか、NHKの「新日曜美術館」でゴッホのことを放送していました。東京竹橋の近代美術館で行われているゴッホ展に合わせたものでしたが、少しゴッホ観が変わるような内容でした。
 自分の耳を切ってしまう、という激しさや精神病だったために、狂気の芸術家と見られることの多いゴッホは、実は大変な読書家で、描画法の研究に本を読み、浮世絵を知るために日本についての本を読む、という人だったというのです。展覧会にも出ていましたが、色の研究のために数色の毛糸を絡め合わせてその効果を確認してみたり、それをカンバス上で実験したり、今までよく言われていたゴッホ像とは違う、と思いました。
 展覧会でも、習作時代からジャポニスム全盛のパリ時代を経て、アルルの部屋に入ると、それまで学んでいたことが一気に「ゴッホ」になったような感じを受けました。彼は誰にも習わずに、自ら学んで「ゴッホ」を創り上げたのです。

 あまりに話がとんで、笑われるかもしれませんが、この番組をみていて私は明恵上人のことを連想しました。頼朝が挙兵したころ高山寺や紀州白上の山中で独自の修行をしていたという日本の僧です。彼もまた人に習うことをせず、玉石混淆の経典を読み漁ったり、釈迦に憧れてインドへの旅行を考えたり、親しい弟子たちと栂ノ尾の山の中で非常に厳しい修行生活を送った人です。
 樹上で座禅をする明恵上人を描いた絵を見ると、あまり丈夫そうなお身体ではなかったようで、事実病気がちであったらしいのですが、一方で宗教的な熱意は激しく、捨身飼虎(法隆寺の玉虫厨子の絵が有名ですね)という釈迦の前世の物語に強く魅かれ、自らも夜の墓場に行って獣に食べられようとしたり、白上での修行中に驕慢の心を抑えたいと自らの耳を切ってしまったりしています。

 そのような、努力と熱情というものは何もゴッホや明恵だけのものではなく、自ら新しい何物をか打ち立てた人に共通するものなのかもしれません。ひとりで本を探し、深く考えていく生活は、おそらく効率の悪いものでしょうし、苦しいものであると思います。しかし、その苦しみを突き抜けたところに彼ら自身の理想が実現したことを思うと、簡単なマニュアルに頼り、人に習って何かをつかもうというのはムシのいい話なのだろうと反省させられます。本当に自分を育てるのは本質に近づこうとする熱意だけなのか、と考えさせられます。
 ゴッホと明恵の肖像画をみていると、まったく違う絵にもかかわらずふたりが、音にならない音に耳をすませているような気がしてきます。


(写真:左 1976-1977年のゴッホ展カタログ  右 2000年の「日本国宝展」カタログより「明恵上人像」)

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コメント

ゴッホとか明恵のような求道者は一般には理解されないから、残っていくんでしょうね。

もう一つは努力をしない天才はいないということでしょうか。日常の中に超然を発見することは大変なことなんですね。

●彼らには何かに「憧れる力」とでもいうような純粋さを感じます。周りの人間は、たとえ理解はできなくとも、その純粋さに惹かれるのでしょうね。

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