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明恵上人創案の仏画

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昨日、東京国立博物館に平成17年度、新しく国宝や重要文化財に指定されたものの展観を見に行きました。博物館のホームページで5月8日までということを知り、見逃しては残念、と急いで参りました。

 国宝になったものは一件。熊野速玉大社(和歌山県)の平安時代の神像群で、堂々としたものでした。また、新指定重要文化財、四十六件も紹介されていました。(1階と2階の特別2室と4室)

 見に来て良かった、と思ったものは京都高山寺の『絹本著色五聖曼荼羅図』でした。ここのところ大変気になっていて本を読んだり、調べてみたりしている明恵上人が創案したと言われる仏画で、毘盧遮那仏を中心に獅子に乗った文殊菩薩、象に乗った普賢菩薩、蓮台に座る観音菩薩と弥勒菩薩の描かれたものでした。右側の観音の白いお顔が本当に美しく、描かれた当時はどんなにきれいな絵であっただろうと、ため息の出る思いがしました。

 明恵上人は色のついた夢をみては、その細かな様子を書き付けているのですが、おそらく、そういう人は絵画を制作するときには大きな力を発揮したと思われます。華厳宗の僧ではあったものの、特定の師を持たなかったらしい明恵上人にとっては経典や仏画が最高の師であり、それらが表す世界に心底から憧れ、仏の世界に行くことだけを強く願っていました。それだけに絵画制作にも熱心で、明恵上人の周囲には多くの仏画や絵巻制作の話が残っていますし、宅間派という絵仏師集団とも深いかかわりを持っていたことがわかっています。

 有名な『仏眼仏母像』には、

 モロトモニ アハレトヲホセ ミ仏ヨ キミヨリホカニ シル人モナシ
    無耳法師之母御前也
    
 (明恵上人もゴッホのように、自身の耳を切ってしまわれたため、無耳法師とあります)

と、立派な宋風の仏画の脇に落書きのように書き入れが残っていて、八歳の時に亡くなった母の面影を追い、この仏画に宗教的な思い以上の感情を抱いていたと思わせます。
 父重国も九歳の時に戦死してしまい、その後は高尾の寺に入った明恵上人にとっては、本当に仏こそが親と思えたのかもしれません。

 しかし、昨日見た『五聖曼荼羅』の仏たちの顔は、その『仏眼仏母像』よりもさらに優しげな、美しい御仏でした。それに、獅子や象も不動の姿勢をとるのでなく、少し動きのある画面で、そのことが絵に現実味を持たせているように感じました。夢でみた仏の世界を絵師に伝え、自分が見たとおり、つまり信じるとおりの仏の世界を描かせたのでしょう。

 平田寛氏の『絵仏師の時代』という本によれば、国宝の『明恵上人像』(樹上の明恵上人像です)を描いた弟子の画僧・恵日坊成忍が1224年以前に『毘盧遮那五聖曼荼羅』を描いたとありますが、今回展示してあったものがその仏画なのでしょうか。

 明恵上人については、本当に調べれば調べるほど、興味のあることが出てきてしまいます。また、機会があったら、成忍や宅間派の絵仏師たちとのかかわりについて書いてみたいと思います。

(写真:東京国立博物館の本館前のユリノキが咲いていました。
    クリックすると大きくなります。ピンボケですが…。)

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