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リレーされた壁画

hekiga
 敦煌の放送まで、あと2日。今日は壁画について考えてみました。

 2001年夏、母に誘われてポンペイ展に行きました。NHKの「日曜美術館」放送の後だったので、大変混んでいました。それでも、紀元前2世紀から約300年にわたって町がつくられたというポンペイの遺物は非常に美しく、そんな古いものだとは信じられないほどのものでした。
 いくつかの壁画も出ていました。一瞬にして熱い灰に埋められてしまった壁画は貴族の邸宅の壁などでしたが、色も残り、華やかな印象がありました。
 このように古いものでこれほど美しいものを見ると、人間の歴史に意味があるのか、と思いたくなります。時がたてばよりよくなって、進んでいくと信じたい気持ちが失せていきます。この古代地中海の技法がアジアに伝えられたかどうかについては、よく知りません。が、各地に古くから美しい壁画が残されているのを見ると、もしかしたら、と考えてしまいます。
 
 インド アジャンターの壁画も大変美しいものです。この遺跡はやはり前2世紀ころから開鑿が始まり、7世紀くらいまでの間、石窟の造営が続いたところですので敦煌と同様、いろいろな時代のものが見られるのですが、その中の5世紀ころにすでに頂点があったようです。美しい女性のような菩薩像はわが国の法隆寺の壁面に描かれていた菩薩にも通じるものがあるとよく言われます。直接伝えられたということではないにせよ、何ともロマンのある話です。先日お話したように、仏典という面では、インドや西域と日本は共有するものがありました。そして絵画の面でもまた、伝達されていったことはありました。

 数年前、神保町の古本屋さんの軒先で見つけた『壁画古墳の謎』(講談社)という本(写真)は、今また話題になっている高松塚古墳についての対談集です。1972年6月24日発行のこの本には、上田正昭、江上波夫、久野健、森浩一、金達寿(キム タルス)という方々が登場し、壁画について考察していらっしゃいます。高松塚の壁画発見のニュースが新聞の一面に掲載されたのが同じ年の3月27日ですから、この本は皆が興奮状態にある時に発行されたものだといえます。
 その中で、金さんは、次のようなことを述べていらっしゃいます。

  「たとえば、1949年に北朝鮮で、高句麗の有名な安岳古墳というのが発見されておりますけれども、これの壁画を見ますと、何といいましょうか、非常にどぎついといいましょうか、ぼくは朝鮮という自分の国のなかで発見されたものにもかかわらず、高松塚より数世紀も古いものだったからと思うのですが、なにかそこに中国的なものを感じたんです。
  ところが、こんどの高松塚のこれは、非常に朝鮮的なものを感じるわけですよ。ちょっとおかしいんですけれども。朝鮮国内で発見されたものに中国的なものを感じ、日本で発見されたものに朝鮮的なものを感じたわけです。」

 それぞれの地域が異国から来た文化を取り入れては咀嚼しわがものにしていく、ということがくりかえし行われてきましたが、壁画はそのわかりやすい例となっているのではないでしょうか? 敦煌の壁画にしても、画題や画技、画法はさまざまありますが、西から伝わったもの、南のインドからきたもの、あるいは中国の中原からの伝統、そうしたものが奔流となり、あるいは逆流しつつアジアの各所に広がっていきました。その中では金さんの言葉のように、隣国のものを十分に噛み砕けず、直輸入のような状態で受け入れることもあったのでしょう。
 
 1980年代の最初の頃だったと思いますが、私も高句麗の古墳の展覧会に行ったことがありました。そこで見た四神図は確かに高松塚の壁画に似ていて、その頃の日本を考えるのには、近代国家の目線ばかりで見ても見えてこないものがあるのだろうという印象を持ちました。文化的に言って同じものを持つということが、戦争に利用されてしまった過去を考えると、岡倉天心のように思い切って「アジアはひとつ」とはなかなか言えませんが、それでも、インド、西域、中国、朝鮮、そして日本の壁画をみていくことは何かがリレーされていったように感じられ、興味をそそられます。
 
 そしてまた、リレーされたものが各地域でそれぞれ違ったものに育ったことも、事実です。そうした文化というものを冷静に見るとき、単に教科書を読んで教わった歴史とは違うものも見えてきます。子どもたちには特に、この文化の大きな流れというものを知り、自分たちの立っている場所を知ってほしいと思っています。現代の目だけではなく、過去の文明をも含めて世界を見ると、今の「先進国」とか、「発展途上国」という分類がいかに刹那的なものであるかが感じられると思います。そうした上で、今の日本の行く末を考えるのも大事なことではないでしょうか。若者よ、もっと博物館や美術館に行きましょう! と、小母さんは叫びたくなります。とはいえ、わが子たちでさえ、なかなか足を運んでくれないのですが・・・・・・。

 壁画の中で伝えられたものの例として、私は武人の眉に注目しています。四天王や執金剛神、あるいは武人の顔を見ると必ず眉根を寄せた表情が描かれています。敦煌の壁画でも、あるいは東大寺の厨子でも、また、法隆寺と同じ頃と考えられている鳥取県の上淀廃寺から見つかった壁画の破片にも、この眉が描かれています。絵そのものの描き方はまったく違うようでも、眉のひそめ方が同じなのです。これは「アジアのきまり」なのかもしれない、と思っています。ほかにもこのような「きまり」はあるかもしれません。そんな発見をするように、また写真集を見たり、博物館へ行ったりしてみます。


(写真の『壁画古墳の謎 日本古代史の原点を探る』(講談社)は300円で買った古本です。鉛筆で綿密な書き込みがしてあり、ポイントを読むのに便利でした。どんな方の本だったのでしょう。)

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