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1日をふりかえることの意義―関野貞アジア踏査展

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 7月にシンポジウムだけ聞いていて、展示を見ずにいた「関野貞アジア踏査」展に行きました。夏休み中とはいえ案外人の多い東京大学の構内は、前夜の台風のせいで木々の小枝が落ち、じっとりとする空気に包まれていました。この東大の総合研究博物館で、常設のフォルマリン漬けの標本や鉱物の部屋の奥に、関野貞の足跡をたどる展示がありました。
 
 明治維新の前年、1867年生まれの関野貞は、1935年(昭和10年)に亡くなるまでに、『朝鮮古蹟図譜』全15冊、『支那文化史蹟』全12冊をはじめとする約70点の書籍を著し、総数約400点という膨大な量の論文を発表した学者です。帝国大学工科大学造家学科で学び、建築の専門家となりますが、卒業前に平等院鳳凰堂の研究論文をまとめていて、今回の展示品にも平等院鳳凰堂の模型や壁画の模写などがありました。

 学生の頃には随分絵の勉強をしていたようで、建築の図面のような絵はもちろん、スケッチも得意でした。展示にも奈良で技師をしていた頃の、ちょっと漫画のような日常のスケッチや、古社寺の壁や柱などに描かれた絵が出されていました。

 パンフレット(上の写真・クリックすると大きくなります)に使われているのは法隆寺の百済観音の光背で、左半分は現状の模写、右半分は復元の模写になっています。この現状を保存するか、当初の姿を復元するか、という問題は2010年を目途に行われている唐招提寺の修理でも問題になっていましたが、関野貞は、奈良の技師時代、新薬師寺などの修理においては、外観を当初の姿に戻して補修することを行っています。彼は明治29年から奈良県下の寺院の調査をし、薬師寺、室生寺、唐招提寺、法隆寺などの有名な寺院についての論文を書いたそうで、いま、私たちが、奈良で天平の頃の雰囲気を味わえるのは、こうした彼の功績かもしれません。

 奥の展示室では、先日赤坂で見てきた高句麗壁画古墳の調査についての展示がありました。双楹塚(そうえいづか)に関してはコンピュータ・グラフィックスの再現映像もありましたし、90年の間に少し黴にやられて絵の見えなくなっていた四神図が、今より鮮明な模写図として残されていました。軍部の人間とともに道なき道を行く踏査の映像も流されていて、その踏査が必ずしも文化的な遺跡調査でなかったことは明白ですが、それでも、盗掘や破壊の前に現状を観察し、保存した彼の功績は大きいのではないでしょうか。

 展示の中で、私が一番感心したのは、彼の日記やフィールドノート類です。几帳面に小さな字で綴られたメモは、鉛筆で書かれたのち、あらためてインキで書き直されているそうです。今回、中国踏査に関するものは展示スペースがなく出展されていない、ということを聞いても、本当に広い範囲の多くのことを調査して回った方なのだということがわかりますが、その膨大な調査をひとつも無駄にしなかったのは、この几帳面なメモがあるからでしょう。昼間、鉛筆で書いたことを、夜、インキでしたためながら、あらためて反芻するという繰り返しが彼の多くの論文の礎になったのだと思われました。
 見るもの、聞くもの、感心しては次々と忘れてしまう私も、1日をふりかえる時間を持ったら、もう少し有意義な暮らし方ができるのかもしれません。

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