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文化二年修補の鎧

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 ひと月ほども、更新をせずに過ごしてしまいました。この間テレビや新聞では、連日マンション設計の偽装問題が報道され、続々と明るみに出る新事実に、あきれ返るばかりです。構造設計という重要な仕事も、コンピュータの画面で見ていると、単なる数字にしか見えなくなっていたのでしょうか? そこに住む人がいて、命を守る大事な数字だということは、頭の片隅からも消え去っていたのでしょうか? 現代人の錯覚とは、ここまできたか、と恐ろしくなります。

 このような情けない日本人のニュースを聞いていて、思い出したのは、2000年に行われた「日本国宝展」の時に見た鎌倉時代の鎧でした。
 鎧は、白糸威鎧(しろいとおどしのよろい)。島根県、日御碕神社(ひのみさきじんじゃ)のものでした。胴の正面には不動明王が利剣と羂索(けんさく)とを持ち、火炎の中にすっくと立つ姿が表されています。不動明王の右側には童子が描かれており、おそらく失われた左側の童子とで、眷属の矜羯羅童子(こんがらどうじ)と制吨迦童子(せいたかどうじ)を表していたのでしょう。

 この源頼朝奉納と伝えられる白糸威鎧に近づいてみると、あちらこちらに、「文化二年修補」という文字が書いてあります。胴の不動明王の絵の欠損部にも、白い威(おどし)の一本一本にも、丁寧な文字で「文化二年修補」とあるのです。これは、江戸時代、松江藩主松平治郷(不昧公・ふまいこう)の命で寺本安宅が修復を行なった際、修復部分をはっきりそれとわかるようにしたからです。

 甲冑全体も太めの鍬形をつけた兜の端正な印象のものですが、修復部分を明らかにして、しかも丁寧な針目で残存部分と縫い合わせてある様子はなんとも清清しく、気持ちを明るくしてくれるものでした。まるで「わたしは丁寧に修復した鎧です。それ以上でも、それ以下でもありません」と宣言しているような感じです。そこにはごまかそうとか、だまそうとかいう気持ちは微塵もありません。

 すべてが昔は良かったということではなく、江戸時代にも阿漕な商売をしていた人間はいたのでしょう。でも、正直な仕事がなされた甲冑が、宝物として今に伝えられていることを、私たちは受け止めたいと思います。まっとうな仕事をしていくことへの応援歌を、この白糸威鎧は朗々と歌っているような気がします。

(写真は2000年「日本国宝展」図録より)

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コメント

ごまかそうとか、ズルしようとか考えてると、
顔にもオーラにもそんなのが表れてしまいそうですよね。
気持ちに折り合いをつけつつ正直に、毎日気持ちよく過ごしたいです。

今年はバタバタと慌しい一年でした。
来年はぜひ、いろんな美術展やイベントを
郁さんとゆっくり過ごしたいです。
ブログも、もう少しじっくり読む時間を持ちたいです。

本年は本当にありがとうございました。
mixiも紹介していただいて、少し世界が広がりました。
お知り合いになれて本当に嬉しいです。来年もよろしくお願いいたします。
よいお年を!

●こちらこそ、本当にありがとうございました。来年は美術館にご一緒しましょうね。楽しみにしています。

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