最近のトラックバック

美術に関する本

作品が掲載されているHPへ

  • 八橋蒔絵硯箱
    燕子花と橋のデザインされた光琳の作品 (東京国立博物館HP)

裏磐梯 五色沼周辺 1


  • 猫魔から五色沼入口へ向かう散策路を歩きました

さくら

  • Dsc00334_edited
    いろいろなところで撮った桜の写真です。

青楓の小石川後楽園


  • 5月3日小石川の後楽園の庭を歩きました。

« 出雲大社に初詣 | トップページ | 端正なかな文字のまっすぐな線 »

泉鏡花の世界

yougyo


 新年にはいってから、忙しい日が続いていて、なかなか美術館に行けません。今日は今朝見たNHKの「新日曜美術館」のお話をしましょう。
 今朝の「新日曜美術館」は、「夢幻の美“鏡花本”の世界」というタイトルで、鏡花の本の世界をともに創りあげた鰭崎英朋、小村雪岱、鏑木清方という3人の画家について放送していました。文学が若い画家たちの感性を刺戟して、本としても文章と挿絵とがひとつなったすてきな作品が創られていったことの幸福ということが語られていました。

 鰭崎英朋の絵はアールヌーボーと江戸の浮世絵の美人画とを混ぜ込んだような美しい物語の世界を表現していて、番組では溺れた若い女を逞しい青年が助けるという、水の場面を描いた絵を何度も映していました。この人の絵は、小さい時、多分誰かからのお古の絵本だったと思うのですが、絵本の中で見ていたような気がします。子どもでもきれいだと感じられるわかりやすさ、それでいて妖しい大正のデカダンスというのは竹久夢二や蕗谷虹児らの作品にも共通するものですが、その中でも特に美しい絵を描く方だという印象があります。

 小村雪岱は岡倉天心のいた東京美術学校で下村観山の教室に入り、後、荒木寛畝塾にても学んだという人です。画塾を辞めたあと、豪華な美術雑誌『国華』を出版する国華社に入社し仏画や古画や絵巻物や浮世絵を版下にする仕事をしていましたが、大正3年、鏡花の『日本橋』という本の装丁を頼まれ、江戸情緒の中に遠景で捉えた淋しげな女を描きました。その後は鏡花の本の仕事が増えました。また、資生堂意匠部でも仕事をしていましたが、関東大震災の後、辞めて京都で『北野天神縁起絵巻』や『石山寺縁起絵巻』の模写をして過ごしていたといいます。さらに、大正13年頃からは舞台美術の仕事もして、多くの業績を残しました。
 最近で言えば、マルチタレントの池田満寿夫さんか宮本亜門さんのような人間だったのでしょうか? でも、正統派の教育を受け、よき人とめぐりあい、古典を身近において学び、さらに時代の流行を創り出す仕事をするなんて、本当に幸せな方だなあ、と羨ましくなります。知り合った泉鏡花という人物を心から尊敬していたらしく、着物の着方を真似したり、紹介された女性を娶ったりしています。

 鏑木清方は、これまでもいろいろな美術館で絵を見たことがあります。番組では「築地明石町」という題の美人画が紹介されていました。内面の美しさ、やさしさ、かしこさがにじみでていて、あどけなさも残り、それでいて艶っぽいという、美しい女性の絵でした。昨年の近代美術館工芸館で行われた「日本のアールヌーボー展」では『妖魚』という題の大きな人魚の絵がありましたが、この妖しく美しい人魚の絵も泉鏡花との出会いから生まれたものであると、番組では紹介していました。近代美術館でこの絵を見た時、私は「鏑木清方らしくない絵だな」と感じましたが、なるほど、幻想的な鏡花の作品に影響を受けると、このような絵にもなるのだろう、と今日の番組を見て納得しました。

 英朋、雪岱、清方は美しい世界を描きましたが、それぞれに浮世絵やアールヌーボー、古典絵画、絵巻物、文学の世界、そして何より、魅力的な人物の影響を受けてその世界を完成させていったようです。芸術の世界を創りあげるということは、単に絵の修行をするだけでなく、多くのことが糧となっていくのだな、と思います。


(写真は「日本のアールヌーヴォー展」図録より、鏑木清方の『妖魚』)

« 出雲大社に初詣 | トップページ | 端正なかな文字のまっすぐな線 »

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/88028/8280364

この記事へのトラックバック一覧です: 泉鏡花の世界:

« 出雲大社に初詣 | トップページ | 端正なかな文字のまっすぐな線 »

日本の美術・アジアの美術2

夏の会津

  • 15  喜多方の観光馬車
    会津若松で白虎隊の墓所、御薬園、鶴ヶ城をまわりました。