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浮世絵とアンデルセンの挿絵

andersen


 トッパン小石川ビルの印刷博物館で行われている「アンデルセン生誕200年展」の内覧会に行きました。展覧会はすでに2月1日から始まっており、4月3日までの予定だそうです。アンデルセンの生まれたのは1805年4月2日。この「生誕200年展」は昨年から全国各地で開催されてきた最後の催しのようです。

 「日本の美術・アジアの美術」で、アンデルセンを取り上げるのはちょっとずるいのですが、明治以降のアンデルセン本の装丁、挿絵、あるいは現代にいたる絵本作家たちの絵を見ていただく、ということでお許しください。

 それに、図録の今井良朗氏の文章に寄れば、1900年代、ようやく実用段階に入った凸版のカラー写真製版法が使われた頃の人気イラストレーター、カイ・ニールセンは「浮世絵の影響を強く受け、様式化された大胆な構成によって、際立った個性を発揮した」(今井良朗『アンデルセン童話とイラストレーション』より)ということですので、その意味でも、ここでご紹介することも適うことかと思います。

 確かに、展示に出ていたニールセンの『鉛の兵隊』の挿絵を見ると、炎と煙の描き方などに、浮世絵に似たものを感じました。この人はデンマーク生まれで、ロンドンで活躍し、アールヌーボーの挿絵画家として子どもの本のみならず、クリスマスなどのギフトブックを手がける人であったそうで、その絵は細やかな、でも少し妖しさもある絵でした。

 ニールセンが生まれた1886年というと、ゴッホがパリを訪れ、翌年には自ら浮世絵の展覧会を行ったという年です。すると、今よりは流行の伝播がゆっくりしていたことを考えても、デンマークにいたニールセン少年が物心つく頃はパリの流行の浮世絵が彼の周囲にも普通に見られたのでしょうか? そうしたニールセンの絵を見て、また日本人の画家たちが彼に影響を受けた絵を描いたと考えると、文化のやり取りがボール送りか羽根突きのように続いたのだということになります。

 さて、日本の本を見てみると、明治35年に発行された『マッチ売りの小娘』の表紙は和服の貧しげな少女が描いてありますし、明治44年のものは、『安得仙家庭物語』というアンデルセンを漢字にした書名で出ており、日本人に合わせた翻案ものとして出発したようです。『安得仙家庭物語』は上田萬年の訳、装幀は『吾輩は猫である』と同じ橋口五葉です。文学史の中でも有名な人たちが手がけているところを見ると、アンデルセンの人気がわかります。その他にも「きいちのぬりえ」で有名な岡本帰一の表紙の本や藤城清治の絵本などがありました。

 現代の絵本作家たちの作品もありました。わが子たちがお世話になったスズキコージさんの『そらとぶトランク』や、林明子さんの『マッチ売りの少女』のポスターもあり、あっという間に過ぎてしまった子育て時代を懐かしく思いました。一緒に行った娘も「この話、小さい時に読んだ」と言いながら新しい絵本になった『えんどうまめの上のおひめさま』のページを繰っていました。

 印刷博物館はこの特別展以外にも常設展があり、奈良時代の百万塔の中の小さなお経の版に始まり、浮世絵の版や、活版印刷のワークショップなどおもしろそうな展示がありました。

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