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沓の揃え方と高僧の人柄

 金曜日、東京国立博物館に行ってきました。仕事の後、連休前ののんびりした気分の中、きれいな夕空を見ながら博物館に向かいました。

 同展に来るのは3回目。出品目録の後期のみに出ているものを特に注意して、廻りました。今日の目的は、今回の図録の表紙にもなっている最澄の肖像画、細見美術館の普賢菩薩像、そして黄不動を見ることです。

 一乗寺の「聖徳太子および天台高僧像」のうち、後期に出ているのは善無畏、最澄、円仁の肖像画です。中世の禅宗などの頂相では、画面の中にちんまりと肖像が描かれていることが多いのですが、平安時代に描かれたこれらの肖像画は、ダイナミックに画面いっぱいに人物が描かれており、色も鮮やかで、迫力のあるものです。明代の肖像画のようなリアルさはありません。しかし、小中学生がのびのびと自画像や友達の絵を描くような自由な雰囲気があり、上手くはないけれど、丁寧な描き方がされているように感じました。

 善無畏と最澄の像を見比べていて気付いたのは、それぞれの沓の揃え方の違いです。善無畏は揃えずに放り出してあるように描かれており、最澄の沓は左右が平行に少し間を空けておいてあります。像の姿勢も、善無畏は横を向いて合掌し、最澄は静かに瞑想しているところを写してあります。それぞれの姿勢と沓はその人柄を表しているようで、面白さを感じました。

 図録の解説によると、「聖徳太子および天台高僧像」という十幅の肖像画セットは天台宗に関わるインド、中国、日本の高僧に「法華経」を日本で最初に注釈した聖徳太子を加えて一組にしたものだそうで、系統の異なる絵画を参照して作られたということです。図録で見ると、確かに、同じ十幅の内でも雰囲気の違うものがあるようでしたが(今回の展覧会では六幅が出品されています)、床几に座している肖像画の、床几の下に置いてある沓に注目して見比べると、智顗のは左右をぴしっとつけて揃えてあり、湛然のは、つま先の方がすこし広げておいてあり、それぞれまた、異なっています。

 確かに、中国伝来の図像などを写したのかもしれませんが、これらの絵を描いた人は、なんらかの方法で、それぞれの人物に対するイメージを明確に持って描いたように思えます。それぞれの性格づけがきちんとできていて、その把握したイメージを画像に表現することに成功している絵画だと感じました。このような肖像画を見ながら、また人物伝や伝説を読み直すと、さらにこれらの人たちを身近に感じられるのではないでしょうか。

 最澄の肖像はとても優しそうで、穏やかで、素直なイメージでした。真面目だけれど、派手さのないところは、同展に出ていた彼の手跡にも同じことが感じられました。千年以上も前の人をこのように把握できるというのは面白く、絵や字の残っていることに、とても感謝したい気持ちです。丁寧に描かれた睫毛、眉引き、少し笑っていらっしゃるようにも見える口元が、心引かれる肖像画でした。

 先年より、上野の美術館や博物館では、金曜日は夜8時まで開館しています。夜の博物館を訪れたのは初めてでしたが、来館者もさほど多くなかったので、ゆったりした気分で見ることができました。

 また、この日は叡山で修行をなさっていた福田徳郎氏の講演会も行われたので、拝聴いたしました。家族のそれぞれに予定が入り、ぽっかり空いた春の宵の自由時間、とても充実した時間でした。

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