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円仁自刻の聖観音

Tendai


 先日、失敗をしてしまいました。息子の学校へ行ったついでに、東京国立博物館の「最澄と天台の国宝」展に行きました。この展覧会は3月28日から5月7日まで開催され、途中展示替えがあるのです。すでに後期に入っていると思い込んで行きましたが、残念ながら、まだだったのです。前期の展示はすでに見ていましたが、入場してしまっては帰るのも惜しいので、もう一度ゆっくりと見て回りました。前期の終了間際のせいか、この前ほど混んでいなくて、じっくりと見ることができました。

 なかでも、いいなあ、と改めて見入ったのは円仁が横川の中堂(首楞厳院=しゅりょうごんいん)に祀っていたという聖観音です。今回の展覧会のポスターやパンフレット(写真)にもなっており、その優しげなお姿を皆さんもご覧になっているかもしれませんね。
 全体に柔らかく丸いイメージで、ほんの少し身体を前かがみにして、少し腰をひねっておいでになります。足も少しだけ右を出して、ゆるゆると立っていらっしゃるように見えます。手足が小さくて、表情も柔和。こんなことを言うと叱られてしまうかもしれませんが、優しいおばあさんが立っているような雰囲気がします。

Ennin

 この像は、エドウィン・ライシャワーの著作、『円仁 唐代中国への旅』(講談社学術文庫-写真)の口絵で、「円仁自刻の聖観音立像」と紹介されています。仏教弾圧の中国を、法を求めて838年から847年にかけて苦難の旅をした慈覚大師円仁は、その記録を『入唐求法巡礼行記』にまとめていますが、ライシャワーによれば、「日本人の書いた最初の旅行記であり、また旅行記としてはマルコ・ポーロのそれよりももっと資料的価値が高いといわれている」ものです。(今回の展覧会で、この『入唐求法巡礼行記』も出ています)

 円仁は延暦13年(794年)下野国(今の栃木県)に生まれ、15歳の時比叡山に入山し、最澄の弟子となった人で、二代円澄の後、第三代天台座主となる人です。21歳で得度し、最澄と共に上野、下野を巡礼したり、東北地方へも天台宗の教えを広めに旅をしたといい、山寺立石寺、毛越寺(もうつうじ)、松島の瑞巌寺など、円仁開基の寺と伝えられています。
 一時は東国巡礼の疲れからか身体を壊し、横川で隠居するものの、夢のお告げで唐へ行くことを決め、困難な求法の旅に出たといいます。

 そして、円仁が唐から帰った翌年(848年)に創建した横川中堂に祀られたのが、この聖観音です。この脇侍には毘沙門天と不動明王が並ぶそうで、柔らかな表情のこの像と憤怒の相の両像が並ぶのは仏教の教えの自在な面を見るような気がします。 

 実はこのライシャワーの著作はなかなか厚い本で、以前読みかけたものの挫折して、放ってありました。今回、仏像を見たことをきっかけに、少し円仁が近づいたので、また続きを読もうという気持ちになりました。聖観音と毘沙門、不動の三像は円仁の唐旅行の間の霊験からきているといいますから、本からその部分を見つけなくてはなりません。

 さて、会期が終わらぬうちに三度めの訪問をして、今度こそ、あの教科書に載っている最澄の肖像画を見てこようと思っています。
 

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