国を挙げてのデザイン帳 『温知図録』
昨日は、東京国立博物館で行われた「内国博覧会の工芸」という講演を聴きに行きました。これは本館常設展示の11室の展示に関わる講演で、明治10年から36年までの間に5回行われた「内国博覧会」のお話でした。特にレジメなどの資料はなく、会場で伺ったことを思い出しながらのご報告なので、記憶違いがあるかもしれませんが、工芸美術について考えるおもしろい講演でしたので、まとめてみます。
1851年、ロンドンで万国博覧会が開かれた頃、日本は幕末、嘉永4年。日本人は万博を知りませんでしたが、オランダが日本の屏風を出品していたそうです。しかし、その後、1862年(文久2年)のロンドンでの万国博では福澤諭吉を含む文久遣欧使節がこれを訪ね、さらに1867年のパリ万国博では徳川、薩摩などが参加し、最後の将軍慶喜の弟も訪問したといいます。
こうして万博を経験した日本人が明治になってから、万国博の国内版として始めたのが「内国博覧会」というものでした。第1回から3回までは上野公園周辺で行われ、第4回は京都、第5回は大阪で開催されました。第1回の時には、8月21日から11月30日まで行われ、約45万人が訪れ、最後の第5回には435万人が見に行ったといいますから、明治の人々にとってはなかなかのイベントだったのではないでしょうか。
今の東京国立博物館の本館の辺りに煉瓦造りの「美術館」やジョサイア・コンドルの建てた「博物館」があり、そこがメイン会場になったそうで、現在の本館前の池の所には木造の展示館が4つ並び、工芸的な噴水などがあったということです。当時の様子を思い描いてみると、今の上野の博物館の景色も違って見えました。
展示品は全国から集められ、優秀な作品には賞が贈られていました。殖産興業の明治政府は、陶磁器や銅器、七宝、漆器などの工芸品のためのデザイン帳『温知図録』を作り、これらの工芸品を輸出品として、よりよいものにしようと努力していたそうです。
実は、私も以前漆芸を習っていた時に、先生から図録のコピーをいただいたことがありました。何という本であったか覚えていないのですが、今考えると明治の頃の七宝のデザイン画だということでしたから、もしかするとこの『温知図録』のようなものだったかもしれません。非常に細やかな模様が、上品に器物にデザインされている素晴しいもので、色のついていない白描画なのですが、見ていて飽きないものです。
それにしても、国がこのようなデザイン帳を作るというのはおもしろい時代でした。展示室の品を見ると、江戸から伝えられた細やかな職人芸が見事に美しい工芸品となっていました。中でも、私が驚いたのは、光武彦七の作ったという梅の花の陶器細工です。花文のように丸く作ってあり、四角い額に納められていましたが、なんとも細やかな作品でした。
当時は高岡の銅器や石川の銅器、漆器などもレベルが高く、これらの地方は輸出にも熱心だったようです。東京には明治11年(1878年)「龍池会」という図案研究会が発足し、パトロンを失ってしまった作家たちの自立を目指していましたが、石川でも「蓮池会」という会が作られて、工芸の品質向上に努めていたといいます。日本の各地がまだ、藩の単位で動いていて、それがよい意味で互いに競争し、切磋琢磨していたように感じられます。もしかすると今以上に「地方の時代」だったのかもしれません。
私は、少し前に仕事で明治時代の教科書について調べていましたが、物理の教科書に「岐阜県 限定七千部」という文字を見つけ、各県がそれぞれに熱心な教育行政を行っていたのだと感じました。教育についても、産業についても地方の独自性があったのでしょうか。
講演によると明治21年、それまで農商務省が事務局を務めていた「博物館」の仕事は宮内省に移され、この頃から時代の先端技術の見本市のような会であった「内国博覧会」の性格も変化していったということです。明治23年には「博物館」は「帝室博物館」になりますが、しだいに古美術の蒐集へと方針が変わっていきました。
教科書について調べていた時にも感じたことですが、明治の初めは科学そのものへの関心について応える本が多かったのに、時代が進むと軍関連の情報に力が入れられていきました。工芸の世界も最初は農商務省が関わって国がデザイン帳を作るまでしていたのが、国の関心が重工業や軍備などへと変化したのでしょうか? でも、国が平和な輸出品についてバックアップし、各地方が特産品をレベルアップして海外へ売っていこうというのは、今でも見習いたいようなことではないでしょうか。私は日本が軍備に躍起になる前の時代、貧しくとも非常に素晴しい国だったように思えました。
(写真は東京国立博物館本館より前庭の池を望んだ写真。かつてはここに木造の建物が並び、内国博覧会が催されました。あの大きなユリノキは、今、花を咲かせています。きっと、明治の人もオレンジ色の花を見ていたのでしょうね。)
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