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女性たちの針仕事

Needlecase


 久しぶりに上野の博物館に行きました。若冲展に出ている其一を見に行こうと出かけたのですが、先に昼食をしようと入った法隆寺館で、つい長い時間を過ごしてしまい、なんとなく平成館に行くのがおっくうになって、常設展を見て帰ってきてしまいました。

 法隆寺館は昔の木造の建物の時は、毎週木曜日のみの開館で、しかもその日に雨が降れば入れないというルールでした。ですから、今日のようなじっとりした湿度の高い日に法隆寺館に入れることは、とてもありがたく感じられます。

 1階のレストランは長蛇の列でしたが、展示室の方はすいていて、ゆっくりと四十八体仏や金銅の播や竜首の瓶などを見てまわりました。古文書類の展示の前では、献納宝物の文書の端正な文字に「うわぁ、きれいな字!」と声をあげて驚いている人が何人もいました。

 本当に丁寧に書かれた文書です。奈良時代の写経生は一文字まちがえると減給されるため、真剣に取り組んでいた、と聞いたことがありますが、こういった文書も写経生などのように、ふだんから真剣に文字を書く仕事をしていた者が書いたのでしょうか? 小学生らしいお子さんは、「これ、印刷?」とたずねていたほどでした。人間は訓練すると本当にすごい力を身につけるものです。

 2階の展示室の最後で、紅牙撥鏤針筒(こうげばちるのはりづつ)、緑牙撥鏤針筒、紺牙撥鏤針筒というものを見ました。つまり、針入れです。象牙の筒に紅、緑、紺の色を染め、毛彫りで文様が描かれたものです。正倉院御物で、紅牙撥鏤尺(こうげばちるのしゃく)とか、撥鏤其子(ばちるのきし)(双六のようなゲームのコマ)などが有名ですね。花模様が描かれ、紺の蓋には小さな鳥も描いてありました。いかにも女の人が好みそうな、やさしい感じのする品です。

 この針入れから針を出して、女性たち(おそらくは宮廷の采女か、貴族の女性でしょう)は何を縫ったのだろう、と考えました。思いついたのは繍仏。この春にも展示会がありましたが、天寿国繍張のようなものを作ったのではないか、と考えました。

Tenjyukoku


 天寿国繍張は、聖徳太子の没後、その浄土往生のさまを描いたものといい、622年から623年にかけて製作されたと考えられています。「天寿国」というのはあまり聞きなれない言葉ですが、北魏時代に書写された華厳経、敦煌経というものの奥書に「西方天寿国」とあるところから、西方極楽浄土をあらわす言葉だということがわかったそうです。隋時代の仏教用語「天寿国」は阿弥陀の極楽浄土と同じ世界を表わしているのです。

 その極楽浄土では、まるで花のつぼみが開くように、蓮華化生といって、新しい仏がつぎつぎに生まれます。天寿国繍張の表現を見ても、まるでつぼみのような形から人が合掌しながら上半身を出して仏の世界に生まれ出てくるようすが描かれています。つぼみにヒトダマのしっぽのようなものがついている文様は、これから仏として生まれるものを表わしているということです。

 太子が亡くなったあと、太子妃であった橘大女郎(たちばなのおおいらつめ)は、太子が生まれ変わる阿弥陀の浄土を想いながら、鮮やかな色糸でその世界をひと針、ひと針、縫いあげていったのでしょう。太子のいなくなった悲しみはそうやって手を動かして刺繍に集中することで、少しずつ癒されていったのではないでしょうか。心配なことがあるとき、手芸のような単純な作業をすると、救われます。

 平安時代になっていくと平糸による刺繍が増えていくそうですが、飛鳥時代のこの頃は強い撚りをかけた糸で、単純な返し縫いをして文様を埋めています。単純な分、力強く感じられる縫い方です。これを紫色の菱形の地紋のある羅に刺繍してあります。薄い羅にこってりした感じの刺繍で、人物や、亀の甲羅に文字が4つずつ書かれた銘文や蓮華や、浄土の楼閣が浮かんでいたわけです。とても不思議な、美しいものだったと思います。

Monjyu


 本館の常設展示で、入り口から入ってすぐの仏像の部屋には中宮寺の「紙製文殊菩薩立像」がありました。以前、半跏弥勒像が上野にいらした時求めた中宮寺の図録によると、この仏像の胸には鎌倉時代の尼僧、信如が発願したという文書が納められていたそうで、使われている反古も信如の大切にしていた経典や消息だったということです。像は5つの髷を結った童子形の文殊像で、利剣と経典を左右に持っています。(写真は『中宮寺の美』という図録にあったものですが、もしかして、反転しているのではないでしょうか? 私が見た像は向かって左に利剣だったような気がします。思い違いかもしれませんが・・・・・・。この写真では剣も巻子も持っていません。)

 この文殊像の発願者、信如こそ、法隆寺にあった天寿国曼荼羅を見つけ出し、それを手本に新しい曼荼羅を作って中宮寺を再興した人なのです。この偶然の出会いに、私は感謝し、もうそれで満足してしまい、平成館の若冲と其一はまたの機会にすることにして、帰ってきてしまったのです。

Chuguji


 雨に降り込められるこの時期、たまには刺繍もしてみたいけれど、そんな余裕はないな、と思いながら、それでもいつかそういう女性らしい時間が持てたらいいなと考えます。とはいっても、今の時代、男性がニットやレース編みで活躍していますし、針仕事は女性だけのものではないのかもしれませんが。


(写真は上から、撥鏤針筒の絵葉書、2006年3月に行われた展示会の折の「天寿国繍帳」の図録(300円)、『中宮寺の美』より紙製文殊立像、『中宮寺の美』表紙)

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