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日本の星宿信仰

Hosimandara

 もうすぐ七夕。そこで、今日は星にちなんだ曼荼羅図のことを考えてみたいと思います。

 星の図、というと高松塚古墳やキトラ古墳の石室の天上部分に描かれた天文図が、わが国での星宿信仰のはじまりでしょうか。墓室の天井や壁に星宿図を描くのは朝鮮半島でも行われ、昨年の夏に見に行った「世界遺産 高句麗壁画古墳展」で求めた図録で、薬水里古墳の奥室の北壁の「墓主夫妻と玄武」の写真を見ると、夫妻の座る上に北斗七星が描かれています。この薬水里古墳は4世紀の末から5世紀にかけて造られたものということですから、こうした朝鮮半島での星宿信仰が明日香時代の日本にも伝えられていたのでしょう。

 星の動きというものは、古代においては、ある種の国家機密のような部分もあったのか、『続日本紀』などを読んでいると、かなり頻繁に星に関する記述が出てきます。推古天皇十年(601年)には百済僧観勒が渡来し、暦、天文、遁甲、方術の書を献上したとされていますが、この遁甲とは占星術の一種だということで、天の星の運行が地上の国の事象に影響を与えていると信じられていました。

 続く奈良時代にも、北斗七星は四神図や日月図と同様、沢山残されているというわけではありませんが、まったく姿を消すということはなく、歴史の中に散見されます。七星剣や青斑石鼈合子などに残される星の文様は、人々が星の持つ不思議な力を信じたことを表しています。

 さらに、中国の唐時代には陰陽五行や天文と密教が結びつき、中国製の天文に関係するような仏教経典が作られたようです。空海の師の恵果の師にあたる不空は『文殊師利菩薩及諸仙所説吉凶時日善悪宿曜経』(宿曜経=すくようきょう)や『熾盛光頂大威徳消災吉祥陀羅尼経』(熾盛光経=しじょうこうきょう)というものを訳しました。わが国の密教ではこうした経典をもととした図像というものが考案されていったようです。

 天台宗の方でも、唐に入った円仁が『大聖妙吉祥菩薩説除災教令法輪』や、『大聖妙吉祥菩薩秘密八字陀羅尼修行曼荼羅次第儀軌法』という経典儀軌を持って帰り、帰国後早速、仁明天皇の病気平癒のために、これを修しています。現代の私たちでさえ、雑誌や新聞に星占いが書いてあるとつい読んでしまうように、星にはなにか秘密めいた効力を感じてしまうのは、今も昔も変わらないのかもしれません。古代に国家の命運を握ると考えられていた星は、しだいにさまざまな解釈を与えられて、安産や眼の病に霊験あらたかなものとして民間の信仰対象ともなりました。

 星曼荼羅はそうした修法に使われる曼荼羅です。さまざまなバリエーションがあるようですが、基本的には、一字金輪仏頂、北斗七星、九曜(七曜と計都、羅候)、十二宮、二十八宿の総計五十七尊が描かれています。一字金輪仏頂は熾盛光仏のこともあり、須弥山の上に座していたり、蓮華座に座していたりします。九曜のうち計都、羅候とは、インドの神で、大英博物館にはコナラク出土のケートゥ像、ラーフ像というものがあるそうです。ケートゥ像は半身が蛇のようで、剣を持ち、ラーフ像は左右の手に日月を持つものですが、わが国でも鎌倉時代に作られたといいます。十二宮は太陽が1年に通過する黄道の12の星座を表し、獅子宮、女宮、秤宮、蠍宮、弓宮、摩喝宮、缾宮(水がめ座)、魚宮、羊宮、牛宮、婬宮(ふたご座)、蟹宮があります。現代でよく見る西洋の占星術とちょっと言葉は違いますが、だいたい同じですね。また、二十八宿は月の新月から次の新月に至るまでの軌道を28に分けたもので、これにもいちいち名前がついています。

 この春に行われた「最澄と天台の国宝」展では円形の三千院の星曼荼羅(上の写真)が出ていました。これは延暦寺の慶円の創案と言われており、法隆寺などにも残っています。また、方形のものもあり、こちらは仁和寺の寛助が創案したとされています。1000年前後から1100年代ごろのことです。平安末の時代、人の命運を司るとされる星に人々は何を祈ったのでしょうか。また、同展では「日吉山王曼荼羅図」(下の写真)が出ていましたが、この絵の上部のほうには北斗七星が描かれており、山王七社と星を結びつけていたことがわかるそうです。

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 七夕の日、寺院ではこの星曼荼羅を前に祈りを捧げるということも聞いたことがありますが、実際にはそのような行事を知りません。今でもそのようなことが行われているのでしょうか。でも、梅雨の晴れ間のすっきりした夕闇に星を見上げながら、星の不思議な力と人の命を結びつけて祈る会、ちょっと参加してみたい気がします。

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コメント

昨日は残念ながら曇り空で星はみられませんでしたが、星の単元の勉強が始まり興味深々の遼ちゃんと、宇宙の図鑑をみながらいろんな話をしました。このブログを読み、またちがった観点で星空を眺められそうです。

●hanaiさん お久しぶりです。
子どもと夜空を見上げた思い出は、幸せな思い出です。塾のお迎えの時など、星を探したりしてね。プラネタリウムにもたくさん行きました。今のうちにたくさん遼ちゃんと楽しんでくださいね。

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