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会津で見た刺し子の美しさ

Sasiko

 父母と息子と4人で会津から裏磐梯を歩いてきました。途中、会津若松では、白虎隊の最期の地や御薬園、鶴ヶ城を回った後で福島県立博物館に行き、企画展を見学いたしました。現在、企画展では「布の声をきく」という古布や裁縫に関するものを集めた展示が行われています。(9月3日まで)

 入口で大きく背中を見せていたのはドンジャといわれる夜着でした。表は木綿と麻布の継ぎはぎ、芯は麻くずを主にしたどてらのようなものですが、かい巻き蒲団のように夜具としても使ったのでしょうか。暖かい地方の植物である木綿が貴重品であった東北の暮らしが想われるものです。

 もともと、わが国では中世になるまで、木綿の衣服を着ることはありませんでした。会津は棉の栽培ができる北限に位置し、わずかな作付けが見られたそうですが、やはり木綿は貴重品で、日常着は麻、カラムシ(苧麻=ちょま)、シナなどの繊維が使われました。麻やカラムシは会津の自然条件に合った栽培植物で、会津は昔から越後上布の原料の供給地だったのです。

 「布の声をきく」の図録には江戸時代、越後塩沢の暮らしを綴った『北越雪譜』(鈴木牧之 著 天保6年=1835年)から引用し
    「縮(ちぢみ)に用うる紵(を)は、奥州会津 出羽 最上の産を用ふ。」
と、会津の紵が使われていたことを述べています。

 塩沢といえば、涼やかな透きとおった夏の着物地の代表で、地名が布の名にもなっています。雪の上に反物を晒して布を強く、白くすることで有名です。新潟地震で被害を受けた小千谷もこの縮と言われる麻織物の産地で、現在の呉服店ではどちらも高級品です。こうした越後で作られる上布(じょうふ=麻織物)は奈良時代、天平年間の頃から織られていたそうで、正倉院にも天平勝宝5年(753年)の年号を記した布が残っています。

 『会津農書』(佐瀬与次右衛門 著 貞享元年=1684年)という書物では、麻やカラムシという作物は寒冷な山の畑で作った方が品質が良いとし、これらが会津に適した作物であることが述べられているそうです。同書には栽培法とともに、その草の茎をいくつもの工程を経て糸にしていく方法も紹介してありますが、それを読むと本当に手間のかかる作業で、現在の越後上布が高額なのも、いたしかたないのかと思われます。この仕事の後継者が少ないことも心配なことです。

 布、といえば麻織物を指したという土地で、木綿は大切に使われました。他の地方で使い古された古布でさえ縫い直したり、端切れを縫い合わせて使ったといいます。そうした東北の人々の暮らしは、刺し子という手工芸を発展させました。布を何枚かあわせて、文様のような縫いをほどこすことで、丈夫な着物を作ったのです。展示には本当につぎ当てのようなものも、配列や効果を考えてつくられたようなデザイン性の高いものもありました。縫いの方法も単純なものもあれば、麻の葉や七宝つなぎのような文様もあります。

 また、寒冷な地で、折り目の粗い麻布を暖かくしようとしたことで始まった、という説のあるこぎん刺しも美しいものでした。商人に売った後の品質の劣る麻を用いて自分たちの着るものを作ったという東北の人々ですが、家族に少しでも美しく、暖かい衣服を用意しようという女性たちの思いが伝わってくるようでした。

 そうして新しく作った着物はまず晴れ着となり、つづいて日常着になり、補修を繰り返しながらパッチワークのようになり、縫い直され、端切れとされ、また別の夜具や風呂敷として新しい形に縫いなおされ、さらに最後には雑巾として使われたり、蒲団の芯として使われたりしていきました。なんと徹底した使い様でしょう。

 松涛美術館での「骨董誕生」展で、雑巾が展示してありましたが、そんな雑巾になってもまだ布の美しさと力強さを感じるというのは、なぜでしょう。私には、そこに小さな布をきちんと洗って、丁寧に縫い合わせて使い切ろうとする女性たちの美しい心が感じられるからではないかと思われました。

 同展では、その他、裁縫の上達を願って作られた絵馬や、裁縫学校で作られたさまざまな雛形、また、木の皮であるシナを布にしていく工程の紹介などが見られ、興味深く見学いたしました。
 

 Nuno1


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(上の写真は猪苗代の冬の作業着。左の写真は「布の声をきく」展のちらしです。)

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コメント

はじめまして、雪月花と申します。あくあさんのところからこちらへ参りました。興味深く拝見しております。
東北の刺子着につきましては、柳宗悦も庄内や陸奥のものにとくに注目したようです。雪にとざされた冬の北国の手仕事は、いまもみごとなものがたくさんあるのですね。
松涛美術館の雑巾の刺子も見ました。わたしは母が刺した台所用ふきんを使っておりますが、日本の芸術の発露は、暮らしをムダなく美しくすることだったと実感いたします。
当方は日本の季節感をテーマに雑多なことを綴っております。お手すきの折にお運びください。今後もこちらの更新を楽しみにしています ^^

●雪月花さん、こんにちは。
福島県立博物館の「布の声をきく」展でも庄内や青森の刺し子やこぎん刺しがありました。本当に東北のこうした布たちはパワーにあふれていて、圧倒されるようです。
 雪月花さんのブログ、以前おじゃましています。とても興味深いテーマですね。これからも読ませていただきます。

郁さん、さっそくのご訪問、有難うございました。以前にもお越しいただいていたとか、感激です ^^
こちらは当方と共通するテーマがすくなくないのでうかがうのが楽しみです。今後もどうぞよろしくお願いいたします。

先日福島でブログのことを教えてもらったので来てみました。まだじっくり読んではいませんが、Iお姉ちゃんらしいすばらしさに、未熟者の私はついていけず・・・まったくお恥ずかしいです。
姉の方がこのすばらしさが分かるだろうと、姉にも教えてしまいました。
時々遊びにきたいと思います。

●恵ちゃん、こんばんは。
拙ブログへの訪問、ありがとうございます。美術品を見ては好き勝手なことを書いています。忙しさのため、ひところよりペースダウンしていますが、ときどきのぞいてくださいね。

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