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光悦、宗達、素庵―『嵯峨野明月記』

Saganomeigetuki


 6月の頃、流風さんが教えてくださった『嵯峨野明月記』という小説を昨日読み終わりました。本阿弥光悦、俵屋宗達、角倉素庵という人物がそれぞれ独白し、美麗な嵯峨本を創りあげていく次第が描かれている辻邦生の小説です。

 嵯峨本は一昨年の「琳派展」で見ていました。和歌巻や四季草花下絵新古今集和歌色紙帖なども同展に出ていました。また、東京国立博物館やその他の所で、別の文様の和歌巻を見たこともありましたので、小説の文章を読みながら、そうしたものが思い浮かびました。


 ……たしかにおれは水鳥の形をそらんじた。その水から飛び立つ姿、水に舞いおりる姿、水辺に佇む姿は、すでに何百回とない習練のあいだに、自分なりの型にまで鍛えあげられていた。おれはそれを感じた。にもかかわらず思うような絵にはならなかった。おれにしては、生まれてはじめての、家にひきこもった、陰鬱な日々がつづいた。腕をくみ、部屋のなかを歩きまわり、水鳥図を思いうかべ、飛びたつ水鳥を呼び起こし、どこからおれの失敗がうまれているかを考えた。
(辻邦生 『嵯峨野明月記』より)

 14メートル近くある画面に鶴の飛翔し、群れ集う和歌巻はこのような苦しみから生まれ出てきたのかと思う文章でした。単純化された鶴の飛ぶこの巻物は、京都国立博物館が所蔵していますが、まるでアニメーションを見ているような画面構成で、その迫力には圧倒されます。(WEB上にこれを絵巻として楽しめるページがありましたので、こちらからリンクいたします。)

   ……宗二は幾種類もの紙を前に並べ、色をすかして眺め、指先で紙質をたしかめ、最後には、紙の端を舌の先でなめてみるのだった。「どうせお出しになるんですから、紙は上質なものになさいまし」宗二はそう言って、具引きした料紙をわたしの前にすすめた。たしかに謡本としては、なるべく美麗な感じを与えたほうがいいし、そのためには表紙なども何か変った装幀で飾ってみたかった。
(辻邦生 『嵯峨野明月記』より)

Kouetubon

 3人の中では、角倉素庵の気持ちが、一番近く感じられました。学問の世界にいても手ごたえを感じられず、かといって実社会での経済活動をしていても、これでいいのか、と疑問が沸き起こる。ようやくみつけた書籍の印行事業に心をひかれながらも、実務に追われてそれもままならない。このようなことは多くの人が感じることではないでしょうか。

 それでも、迷い、悔恨しながら進んだ人生のひとつの証としてあのような美しい本の残せた素庵は幸せでしょう。最近、仕事では、東洋医学の本の歴史について読んでいるのですが、その中で岡西為人という人の著作に会い、確実な仕事を残した先人に感謝しています。岡西氏は広島の出身で、満州大学東亜医学研究所という所にいた人です。終戦後もしばらくは中国に留任し、戦後は塩野義製薬で研究活動をしました。その業績をまとめた書物は台湾や上海の発行所からも出ており、漢方の書籍研究や本草学での研究に多くのものを遺しています。

 その岡西氏は、ご自分の研究を誰かがやらなくてはならぬ基本的な研究だと認識されていたようです。『嵯峨野明月記』の中でも角倉素庵が、本を発行する前に註解や異本を調べあげていく、という場面が出てきますが、氏が成し遂げられたのはまさにこの作業でした。漢代から伝わる漢方や本草学の本は、さまざまな時代にさまざまな者が書き換えたり、編集しなおしたりしています。題名が同じでも違う内容のことも、また、題名は違っていても、同じ内容のこともあります。これを整理して、正しいと思われる形にしていくことは並大抵の作業ではありません。しかし、東洋医学を研究するにはこのように正しい形のものがなければ何を信じてよいのかわかりません。岡西氏は現代の東洋医学に大きな働きをしたのだと思います。

 美しい形として残る謡本も地味な校閲の事業も、着実に、確かなものを私たちに伝えてくれています。私たちも日々の暮らしや仕事を通して、何かそのようなものを次の世代に伝えられると嬉しいですね。


Kouetusikisi


(写真は上から、中公文庫『嵯峨野明月記』、2004年「琳派展」から光悦謡本、四季草花下絵新古今集和歌色紙帖 クリックすると大きくなります)

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コメント

郁さん、こんにちは。
『嵯峨野明月記』はわたしにとって永久保存版で、この本のことでコメントをさせていただけることに感謝したいくらいです。わたしはこの小説から美への執念や情熱、森羅万象への畏敬の念と、芸術の永遠性というものとは何かを知る思いがしたのですが、こんなことは一見に如かずで、宗達と光悦ののこしてくれたものを見れば分かることなのかもしれません。小説の中の、「‥なみなみと溢れてくる情感の波に、自ずから圧倒されるような感じがした。私には、この為体の知れぬ、たえず湧き上がり、溢れてくるものこそが、書画なり能なり歌なりの心ではないかと思えてならなかった」という光悦の言葉は、同じ著者の『西行花伝』にもよく表れています。また、同じ時期に活躍した狩野派との相違を認識した小説でもありました。

本書の忘れられない一節です。

「まさしくこの生は太虚にはじまり太虚に終る。しかしその故に太陽や青空や花々の美しさが生命をとり戻すのだ。‥私はいずれ<死>に委ねられ、藤の花のようにこぼれ落ち、消え去るであろう。私の墓のうえを落葉が覆うであろう。紙屋川を吹きあがってくる風が音をたてて過ぎてゆくであろう。墓石の文字も見えぬほど苔むしてゆくであろう。そのときもなお私は生きている。あのささやかな美しい書物とともに、和歌巻とともに、宗達や与一や宗二の誓いや友情や誇りや苦悩を織りこみながら、生きつづける。おそらくそのようにしてすべてはいまなお生きているのだ。花々や空の青さが、なお人々に甘美な情感を与えつづけている以上は、それらのなかに、私たちの思いは生きつづけるのだ」

長々と失礼しました。わたしの琳派好きは、一生つづきそうです ^^ 次回は光琳の蒔絵の作品について書きますので、お寄りいただけましたら幸甚です。

●雪月花さん、こんばんは。
美術品の登場する小説は本当に楽しみです。美術館で陳列されているものを見るときも、このものの内にはいろいろな物語が秘められているのだろうな、と考えることがあります。小説の一節、私も、この部分、印象的でした。光琳の蒔絵についてのブログ、楽しみにしております。

郁さん、こんにちは。

『嵯峨野明月記』読まれたんですね。美術工芸品に詳しくない流風は、読むのに少し骨が折れましたが、郁さんは、かなり深く読み込まれていますね。

それにしても、彼らの集中力には驚かされます。そして、彼らを結びつけた不思議な結びつきと、彼らを突き動かせた時代を感じさせます。

それにしても、流風も、もう少し、美術工芸品に関心を持ちたいと思います。

●確かに、何かすばらしいものが生まれる時には集中力が必要ですよね。一流の人たちが集まって創った本だからこそ、小説の題材になったのかと思いますが、今の時代にも私たちの知らぬ間に秘かにそんな出会いがあって、すてきなものが生み出されているかもしれませんね。

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