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暦という今年の顔

Kawasehasui

 昨年の年明けは姑が入院して大変なことでした。明日で一周忌をむかえることになります。そのことがあったので、昨年はカレンダーを手に入れるどころでなく、うちのリビングには一年間、子ども達の年齢にもそぐわないアニメのカレンダーが掛かっていました。

 もちろん、少し落ち着いてから何とかお気に入りのカレンダーを手に入れようとしたのですが、やはり時期を逃すと不思議なほどなくなってしまうもので、あきらめてしまいました。夏のころ、知り合いの版画屋さんで川瀬巴水のカレンダーを見かけ、まだ残っていませんか、と問うたところ、残念ながら、とのお答えでした。そのかわりにといただいたのが2007年の川瀬巴水の暦です。

 半年も待って、大晦日にこの暦をかけるのがとても嬉しく、家族に手に入れたいきさつをちょっと自慢したりしていました。今年はこの川瀬巴水の美しい版画がうちのリビングの顔です。

 川瀬巴水(1883-1957)は十代の頃から絵を描くことに興味を持ち、画家をめざしたものの家業をつくべき長男だったため一度は断念。しかし、想いを断ち切れずに二十代になっても日本画の師匠の指導を受け続け、一度は断られた鏑木清方門に入門を懇請し、許されることになったと伝えられています。その後、巴水の名を与えられ、図案や本の表紙絵などを手がけるようになっていましたが、大正7年、同門の伊東深水の版画作品に触発されて自らも版画に取り組み始め、「旅みやげ」「東京十二題」などの作品を発表しました。大正12年(1923)の関東大震災では家財も作品も失ってしまいましたが、ここから全国を歩き、風景作品を多く作り続け、葛飾北斎や安藤広重と並んで、欧米の人々にも高く評価されているということです。

 大正の中ごろというと、ちょうど自分で絵を描き、版を彫り、刷るという創作版画が広がっていった頃ですが、川瀬巴水は絵を描くのみで、版を作り刷るのは江戸の伝統を受け継ぐ職人たちが担いました。しかし、巴水は絵を描く時もそれが版画になったらどう表現されるかを意識して作画したといいます。できあがった作品にはなんともいえない品格があるように感じられます。絵でも写真でも表現できない、木版画の美しさがあります。

 雪の降り積もる風景や水に映る建物、霞の浮かぶ春の空といったところに、職人たちならではの木版画独特の深みがあります。仏像においても日本人は木彫のすばらしい表現法をしていますが、版画においても木という素材は日本人の可能性を最大限に引き出しているのかもしれません。

 さて今年、あなたはどんな暦をみてお過ごしになりますか?


Taro

(コメントでお話した叔母の作品、数年分です。)

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コメント

郁さん。
本年もよろしくおねがいいたします。
カレンダー、毎日見るものですものね。
絵の好きな父は、よく、気に入った絵の部分だけ残し、翌月も同じ絵にしていたのを思い出しました。それなりのこだわりだったということに、今ごろ気付きました。

Go.さん
こちらこそよろしくお願いします。
お父上のお気持ち、わかります。
好きな絵や写真の月になる時、とても嬉しくなりますし、
そうでない時は残念な気分になります。
本当は自分でお気に入りを集めて
自作カレンダーを作るとよいのでしょうが、
なかなかそこまでできません。でも、いつか
やってみようと思います。
私の叔母は毎年愛犬のカレンダーを作って
送ってくれるんですよ。

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