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円仁 信念を持つ人の穏やかさ

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 先週の土曜日、栃木県立博物館で行われている「慈覚大師円仁とその名宝」展に行きました。円仁は、以前「最澄と天台の国宝」展(2006年 東京国立博物館)についての記事でもご紹介した第3代天台座主となった平安時代の僧侶です。昨年のその展覧会の時には円仁が自ら彫り、横川の中堂(首楞厳院)で礼拝していたとされる聖観音がポスターになっていました。

 その円仁が15歳で比叡山延暦寺へ修業に入山して今年は1200年目にあたるそうで、今回の展覧会はこれを記念して栃木県立博物館(4月21日~6月3日)、宮城の東北歴史博物館(6月16日~7月29日)、滋賀県立近代美術館(8月11日~9月24日)の3箇所で開催されます。また、宇都宮にある栃木県立博物館は今年、創立25周年を迎え、その記念行事として郷土出身の円仁をテーマとした展覧会を企画したということです。

 栃木県立博物館にはJR宇都宮駅から、赤い花をつけたホウノキの街路樹を見ながらバスで行きました。博物館のある公園の中にはいろいろな花が咲き、石楠花が大きなつぼみを開きかけていました。博物館の入り口には来館者たちが塗り絵をして製作中の大きな曼荼羅が飾られ、ロビーには円仁が辿った巡礼の地の現在のようすを写した写真パネル(撮影は如月萌さん)が展示されていました。 以前読んだ『円仁 唐代中国への旅―「入唐求法巡礼行記』の研究』Edwin Oldfather Reischauerエドウィン・O. ライシャワー著、 田村 完誓訳(講談社学術文庫)を思い出したりしながら、とても興味深く見学しました。五台山の大パノラマや揚州に祭られている鑑真像、西安の大雁塔など、円仁の見た風景が今に残っているということが、不思議でもあり、素晴らしいことに感じられました。

 企画展示室の最初に置かれていたのは円仁の頭部像。どっしりした印象で、穏やかな風貌です。円仁創建と言われる山形の立石寺の入定窟というところに円仁の胴体と思われる人骨とともに見つかったものだといいます。図録の解説には立石寺に伝わる話が紹介されており、それによると、円仁は比叡山には開祖・最澄の廟所だけを置くべきであるとして、自らの廟を建ててはいけないと厳命して亡くなり、その言いつけを守って弟子たちはご遺骸を付近の「華芳」に葬ったが、ゆかりのある立石寺にご遺骨を移すことになり、最初の埋葬地には頭部のみを留め、立石寺には胴体のご遺骨に法衣を着せ、木造の頭部とともに黒漆塗に金箔を押した木棺に納めて安置した、というのです。昭和23年、24年の調査では伝承のとおり、金棺の中にこの木造頭部像と胴体のご遺骨が見つかったということです。


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 今回の展覧会のために企画担当者は立石寺に幾度も足を運び、この頭部像を出品することをお願いした、とテレビで伝えていましたが、このような貴重なものを博物館の展示の中で拝見できるということは大変ありがたく、お寺の方にも企画の方にも感謝したいと思いました。平安時代といえば藤原三代のミイラを須弥壇の下に安置した時代。遺骸に対する思いは現代の私達以上に強いものがあったのでしょう。比叡山近くに師の墓を置きたいという弟子の思いと、巡錫の地である立石寺にご遺骸を置きたいという思いがぶつかり、このようなことが行われたのでしょうか。いずれにしても、多くの人に慕われた円仁の人柄がしのばれます。

 40歳にして視力が急に衰え、体調を崩して一度は横川の草庵にこもった円仁が、再び外の世界へ行き、唐での不法滞在という危険を犯してまで9年という長い巡礼の旅をし、その末に多くの仏典や仏具、そして日本の学僧たちの抱いていた宗教上の疑問に対する答えを持って帰国したということを知った上でこの頭部像に向き合うと、苦難を乗り越えることは人間を丸くするのだろうと思えてきます。昨年の「最澄と天台の国宝」展の時にも、ゆったりとして目をつぶり、瞑想するかのような穏やかな円仁像(絵画)が出ていましたが、頭部像の雰囲気も同じようで、没後、記憶の新しいうちに作られたのではないかという解説も肯けました。

 残念ながら、この頭部像は会期のうち前期のみの展示ですので、今は栃木県立博物館にはありませんが、その他の円仁に関する経典や仏像、仏画は見ることができます。紺紙に金や銀の文字で書かれた経典類はその見返しの絵が美しくまたかわいらしくもあって、これまで気付かなかったことを発見しました。

 この日は東北大学名誉教授・東京藝術大学客員教授の有賀祥隆先生の「慈覚大師 円仁と日本の仏教美術」というご講演もあり、そこではたくさんのスライドも見せていただきました。先生のお話によれば、円仁は密教美術、法華経美術、浄土教美術の3つのいずれにも影響を与えたということで、当日のお話もその流れに沿ってなされました。とても丁寧なご説明だったせいか、レジュメの最後までは行き着かずに時間がきてしまいましたが、楽しく拝聴いたしました。

 「慈覚大師円仁とその名宝」展の会場は、広さにさほど余裕のあるところではありませんでしたが、パネルや解説が親切で、とてもわかりやすい企画展示でした。以前に別の展覧会で見ている陳列品も、円仁というテーマで、新たに並べなおされると、それはまた新たな刺戟になります。講演の後、2階の企画展示室に行くと、副館長自らが入り口に立たれ入館者を迎えていましたが、全体にホスピタリティの感じられる展示会だったように思います。今後もこのような企画が多くの博物館・美術館でなされると嬉しいですね。


(写真は同展のパンフレット表裏 上 と 同展の図録 下 です。)

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コメント

来館者による曼荼羅って、できあがったら、見事でしょうね。
・・・遺骨を分けて埋葬、というのは、考えに考えた結果ということで、円仁の場合だけなのでしょうか?師なら許してくださるだろう、と?
頭部を木造で作成し、埋葬した弟子たちの気持ちは、とても分かる気がします。

●パソコンが壊れて、しばらくアクセスしていませんでした。レスが遅くなり、申し訳ありませんでした。
 このような形での分骨ということが珍しいことだったかどうか、私にはわかりません。でも、今でも時々は縁のある場所に別のお墓をつくるということがあるようです。弟子というのは、ある意味では家族か、それ以上のものなのかもしれませんね。

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