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鉄の力、人の力

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6月の中旬、父と母と3人で平泉に行って参りました。有名な観光地ですが、今まで行く機会がなく初めての平泉でした。梅雨に入る前の東北はとても爽やかで、小さなかわいい花が一斉に開き、とてもよい季節でした。古代、この辺りは馬の産地であったと言われますが、緑色の丘陵を見ていると、ここに馬が走っていたら本当に気持ちよさそうにみえるだろうなぁと、空想してしまいました。

一関で新幹線から乗り換えて平泉へ行くと、駅前の通りは整然とした落ち着いた町並みが続いています。世界遺産にふさわしい街づくりをするために、数年前整備事業を行なったということで、金融機関の建物もスーパーマーケットもシックな歴史の街の雰囲気を壊さないよう配慮がされていました。強い日差しの駅前で見つけたのが小さな「岩手県」のプレートです。何のためのものかわかりませんが、たっぷりとした楷書で書かれた鉄のプレートが道路のコンクリートの中に埋め込まれていたのです。

岩手県というと南部鉄を連想しますが、南部藩というのは岩手県の北から青森県にかけてあった藩だそうで、この平泉は伊達藩のものであったそうです。ですから、南部鉄、とはいえないかもしれませんが、古代から鉄の技術の発達したこの地域のゆるぎない力を見るような思いで、このプレートを記念写真に撮りました。

岩手はまた、金の国でもありました。『続日本紀』には大仏を造ろうとしていた聖武天皇のもとに陸奥の国から金が出たという報せが届いたということが書かれています。

天平二十一年(749) 二月丁巳。陸奥ノ國ヨリ 始メテ 黄金ヲ貢ス。是ニ於テ 幣ヲ奉テ 以テ 畿内七道ノ 諸社ニ 告グ。

報告を受けた天皇は4月、大仏にそのことを報告に出向きます。

夏 四月甲午 朔(ついたち)。天皇 東大寺ニ 幸シ 盧舎那仏像ノ 前殿ニ 北面シテ 像ニ対ス。……東方 陸奥ノ國ノ守 従五位上 百済王敬福 部内少田郡(おだのこおり)ニ 黄金出デタリト 奏シテ 献レリ。

 この日の聖武天皇の言葉の中には、(大仏建立は)多くの人は成功しないのではないかと疑い、朕は金が足りないのではないのかと思い憂えていたところ、天の神地の神が祝福して金を賜ったのだ、と神々への感謝が述べられています。聖武天皇はこの後、天平感宝と天平勝宝という2つの年号を発表しています。金の貢進は余程嬉しいことであったにちがいありません。自らが立ち上げたプロジェクトが頓挫しそうになった時、吉報をもってきたのが遠い陸奥の国の百済王でありました。百済王は朝鮮半島から来た氏族であったと考えられ、彼らは鉱脈を見つける技術や鉄や金などの金属を扱う技術を持っていました。

 この功で、従三位を賜った百済王敬福は、4月22日には黄金900両を貢進し、大仏造立が進められていくのです。大盧舎那仏像を造るということは古くより幾度にもわたって半島から来た人びと、また新羅の半島統一以後祖国が無くなって渡って来た百済の人びと、そして日本在来の氏族と、すべての人びとの力をひとつにしていく大事業であったのかもしれません。

 中尊寺金色堂もそうした古代からの鉄や金の伝統技術の上に建てられた寺院ではないでしょうか。もちろん、堂内の荘厳は京の都から呼び寄せられた仏師や工人たちが行なったのでしょうが、それでもやはり、この黄金のお堂はこの地であったからこそできたもののように感じました。金属で繊細な迦陵頻伽文を作り出した華蔓なども、鉄や金を始めとする金属の技術がなければできなかったものでしょう。

 中尊寺と並ぶ平泉のみどころである毛越寺では、宝物館を見学しました。そこには藤原氏の館を飾っていたという、鉄でできた木の枝の置物がありました。当時はこの鉄の枝に珊瑚や宝石などをつけてあったということです。まるで、かぐや姫が望んだ宝物のようですね。今はその鉄の枝のみが陳列してありますが、その細工はなかなかのもので、平安時代の人々が鉄という素材で自由な形を作り出していたことがわかります。また、同じ宝物館に大きな鉄の宝塔の一部のようなものがありましたが、それもまた、美しいものでした。

 古代の朝鮮から伝えられた金属を扱う技術が奈良の大仏建立に役立ち、平安時代の阿弥陀如来を荘厳する。鉄の技術は立派な塔や鐘を生み出し、南部鉄の技術に受け継がれる。現在でも釜石に大きな製鐵所があることもやはり、この伝統の流れの中にあるように思えます。それは、たぶん美しい鉄を見た記憶が、次の世代の伝統を守ろうという意欲につながっていったのでしょう。私たちは今、次の世代を担う若者たちに意欲のもととなるような美しいものを見せているでしょうか。

 中尊寺には古い時代の仏像や宝物も多く、5月に宇都宮で見た円仁に関わるものもたくさんありました。また、山内の樹木は美しく手入れされており、見ていて胸のすくような景観となっていました。義経最期の地である高館(たかだち)からは、大きく北上川が流れるパノラマが楽しめましたし、達谷の窟(たっこくのいわや)毘沙門堂ではめずらしい磨崖仏を見ることができました。平泉から山を越えた所にある猊鼻渓では舟遊びもできて、
なかなか満足の旅行でした。


Kitakamigawa

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コメント

こんにちは。
平泉行かれたのですね!
高台からの眺めはすばらしいですよね。
宮城県の北部が母の故郷なので、子ども時代に数回出かける機会があったのですが
最後に行ったのは高校生の時。
今出かけたらもっと感動するに違いないと思います。

投稿: tsukinoha | 2007/07/06 05:51

●tsukinohaさん、こんばんは。
本当にとても良い季節に平泉に行きました。
西行が訪れ、芭蕉が旅をした歴史ある街は
とてもすてきでした。
お土産に鉄製品、と思いましたが
ちょうどよいものが見つけられず、
代わりに銅製の蓋置きを買いました。
柏の葉っぱに似せてあり、くるりと巻いてあります。

投稿: 郁 | 2007/07/06 21:52

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