最近のトラックバック

美術に関する本

作品が掲載されているHPへ

  • 八橋蒔絵硯箱
    燕子花と橋のデザインされた光琳の作品 (東京国立博物館HP)

裏磐梯 五色沼周辺 1


  • 猫魔から五色沼入口へ向かう散策路を歩きました

さくら

  • Dsc00334_edited
    いろいろなところで撮った桜の写真です。

青楓の小石川後楽園


  • 5月3日小石川の後楽園の庭を歩きました。

« 道安のどっしりした竹花入 | トップページ | 予楽院の隷書心経 »

西アジアのガラス器にみとれる

Glass_of_the_near_east


久しぶりに東京国立博物館に行きました。今年は年間パスポートを無駄にしてしまったかもしれません。大江戸展が終わって常設の展示のみでしたが、本館で自分の好きな仏像、茶道具、国宝室などを見てから東洋館に行き、「西アジアのガラス器」という特集陳列を見ました。(2008年1月27日まで)

 エジプトのミイラをなるべく視界に入れないようにしながら2階の奥に行くと美しいガラス器の棚がありました。『東京国立博物館ニュース』に紹介されていた「金帯装飾アラバストロン」が小さいながらもずっしりとした存在感で、美しい青の輝きを放っていました。アラバストロンとは女性が使った香油入れのことだそうで、確かに現代の香水の瓶のような優美さがあります。

 この青いアラバストロンの大きさは20.8センチメートル、アレクサンドリアまたはイタリア出土、紀元前後1世紀のもの、ということです。金箔が混ぜ込んであるガラス器で、ラピスラズリのような青とちらりと入る白とマーブリング模様のような金の渦が本当にきれいなものです。このようなものが紀元前後に使われていたのです。しかも、この制作方法は今ではわからないというから、また驚きです。美しいものを作る技術は必ずしも時代が進むに従って増えていくとは限らないのだと思いました。

 ミルフィオリ皿という華やかな皿もありました。これも大きなものではありませんが、宝石のような輝きがあって、きっと高貴な人々が使っていたのだろうと思われました。この皿の作り方はパネルで紹介されており、作る過程がわかります。きれいな色ガラスのペレットのようなものを並べて、熱で溶けだしたらどんなふうに混ざるのだろうかと考えながら土製の型を火に入れ、わくわくしながら取り出したにちがいありません。ミルフィオリとは「千花文」のことだそうで、マーガレットのような小花が群青色の地に散りばめられている皿もありました。

 「多重吊手付四連瓶」という飴細工のようなものもありました。これは5世紀、シリアから出土したものです。何に使ったものなのでしょう? 細い試験管を4本束ね、木のつるで編んだかのように薄緑色のガラスで装飾してあるものです。また、5~6世紀のイランから出た切子の皿や杯は正倉院御物の白瑠璃碗とそっくりです。

 ガラス器の歴史は古く、紀元前23世紀のメソポタミア(イラク)からと、陳列棚の傍に置いてあったパンフレットに書いてありました。例の白瑠璃碗のようなカットグラスが作られたのはササン朝ペルシャの時代、3世紀から7世紀です。確かにあの正倉院の白瑠璃碗の洗練された形を見るとそれがすでに成熟した技術によって作られたのだろうと思われますが、それにしても長いガラスの歴史ですね。

 『正倉院の謎』(由水常雄 著 中公文庫)を読むと、あのカットグラスは「当時大ヒットをとばした貿易商品の花形」であったそうで、イラン、メソポタミア、サウジアラビア、シリア、コーカサス、中央アジア、西域地方などから多くの類型品が出ています。

 正倉院には現在6個のガラス器があるそうですが、奈良時代の目録にはひとつもなく、それが建久4年(1193)時点では24個、江戸時代には5~6個、明治に入っても在庫数には1点の相違があり、しかもそのうちの2個は現存のものとは異なる器だということが図巻を見るとわかるといいます。一体、どういうことなのでしょうか? 不変に伝えられてきた宝物という印象を与える正倉院の収蔵品は意外にも増減があり、消亡もあり、新しく納入されるものもあったのです。

 それでも現在収蔵されているガラス器がササン朝から10世紀くらいまでのイスラムグラスであることには間違いなく、美しい器物が正倉院の中だけにあったわけではないものの、世界のどこかで大事にされてきて、いつの間にか正倉院に収まったということなのでしょう。(ただ、ひとつのグラスについては由水先生は清朝のものではないかと述べられています) 美しいものを大切に伝えたいという歴代の人々の気持ちがあの正倉院につながっているのだな、とありがたい気持ちになりますね。

« 道安のどっしりした竹花入 | トップページ | 予楽院の隷書心経 »

コメント

正倉院宝物約一万点の内、献物帳等確認できる宝物は600点というのを聞いたことがあります。
また、薬草に関しては、当初より活用することが前提だったようで、施薬院などに下されたようです。
それに正倉院といっても、東大寺の什物も入っていたので、いろいろなものが混じっているということなんでしょうね。

私も、博物館ニュースで「金帯装飾アラバストロン」みました。不透明ガラスは私たちの日常ではあまりなじみがないのですが、これはこれで、白玉や碧玉のようできれいだなと思います。


●アラバストロン、本当にきれいでした。
ガラス工芸品は作ることのできる宝石だったんでしょうね。
 正倉院の薬物については今年の夏、鳥越泰義先生のお話を直接伺うことができました。また、勤め先に正倉院の薬石に関する本などもあり、ながめたことがあります。中国では仙薬として石を粉末にして飲んだりしたためか、そういったものが納入されているようです。普段に使う漢方薬はなくなっているそうですが、石の方はほとんど飲まれずに残っているそうです。中には毒もあり、飲まなかったのは正解なのですが。
 東博では3年ほど前、古代ガラス・コレクションの寄託を受け、これからまた順次展示されるそうです。嬉しいことですね。

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/88028/17398686

この記事へのトラックバック一覧です: 西アジアのガラス器にみとれる:

« 道安のどっしりした竹花入 | トップページ | 予楽院の隷書心経 »

日本の美術・アジアの美術2

夏の会津

  • 15  喜多方の観光馬車
    会津若松で白虎隊の墓所、御薬園、鶴ヶ城をまわりました。