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予楽院の隷書心経

Konoe


 お正月休み、東京国立博物館に行き、特別展「宮廷のみやび 近衞家1000年の名宝」を見て参りました。「博物館に初もうで」ということで大きな鶴の垂れ幕があったり、本館や平成館の階段上にお正月の豪華な花が活けてあったりして、博物館もお正月気分でした。

 今回の特別展は陽明文庫創立70周年を記念して行われたものだそうで、藤原道長から連綿と続いてきた近衞家に伝わる文化財が紹介されています。展覧会の入り口には教科書などでよく見る鎌足像があり、7世紀から続く藤原一族の嫡流、近衞家の宝物を見せていただくのだなと印象づけられました。

 この展覧会の中で改めて注目させられたのは近衞家凞という人物です。お茶の方では予楽院という名でさまざまな記録やエピソードを残している江戸時代中期の近衞家当主です。寛文7年(1667)、後水尾天皇の皇女常子内親王を母として生まれた家凞は若いうちから五摂家の筆頭である近衞家の当主となり、摂政・太政大臣へとなりました。しかし46歳で公職を退いて、後は風雅の道を選んだといいます。

 おそらくは幼い頃より、母方の伯父にあたる後西天皇をはじめ、大叔父にあたる常修院宮慈胤法親王、叔父の一条宮真敬法親王、青蓮院宮尊証法親王といった人々の薫陶を受けて書、絵画、管弦、茶の湯、歌などの道を極めたと思われ、今回出展されている「隷書心経」など、一点の非の打ちどころもないほどの出来栄えで、一流の人物を輩出してきた近衞家の実力を見せつけられるような気がしました。

 家凞は書道に熱心で、古くから伝えられている能筆家の書跡を使って練習をしたそうで、手本の上に紙を重ねて写したり、手本を横に置いて臨書したりしたといいます。コピー機を使ったように美しく書き写した書をみても、家凞の几帳面さや探究心の強さが感じられました。

 この家凞・予楽院の言動を記した『槐記』は近衞家の侍医である山科道安が書いた記録ですが、家凞が招いたり、招かれたりした茶会の記録が記されています。いつ、どのようなメンバーで、どのような食器を使って何を食べたのか、また、どのような花入れに何の花を活けたのかがわかり、興味深いものです。

 筒井紘一氏の『名器がたどった歴史』(主婦の友社 昭和59年刊)には享保14年、家凞が大津袋を使って茶入とするために、茶会の前夜に急いでこの袋をあつらえたというエピソードが紹介されていますが、展示の中にも多くの美しい古裂(こぎれ)がありました。手元にたくさんの美しいものを用意して、いつでも自由に使うことのできた予楽院。うらやましくはありますが、持てる者の特権に見合うだけの多くの努力も惜しまず生きた方だったのだろうと思われました。

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