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吉本隆明と西行のかな文字

Saigyo


 今年のお正月は吉本隆明の『西行論』を読んで過ごしました。とはいえ、3日までの短い休日には年始の挨拶などもあり、読み終わらぬままになってしまい、残りは通勤電車の中で読みました。その後、辻邦生の『西行花伝』を読んでいます。今はまだ半ばなのですが、出光美術館の「西行の仮名」展が終わってしまうと悲しいので、昨晩訪ねました。評論と小説と西行の書、そしてもうすぐ咲く桜で、あこがれの西行に少しでも近づけるでしょうか。

 「西行の仮名」といっても、これがまちがいなく西行の真筆というものはそうたくさんありません。今回出ている国宝「一品経和歌懐紙」や彼の法名である円位の署名のある4通の書状などです。しかも、西行という人は在世の当時からすでに伝説を持つような人物であり、吉本隆明はそのために注意深く伝説の西行と本当の西行の像とを考察しています。
 ひとつには何の不足もない状況にありながら、この世の無常を感じて出家したという伝説、そして『西行花伝』で描かれているように鳥羽院の中宮、待賢門院との恋という伝説が西行の像をさまざまに彩って、その残された歌にもいろいろな当時の思潮やら宗教やら、人々の夢やらが載せられて伝えられている西行。小さな紙に書きつけられた伝西行のかな文字を見ていると、どこまでいっても捉まえられない西行の姿が浮かんでは消えていくような気がします。

 展覧会の図録にある文章を読むと、西行のかな文字特定はかなり絞り込まれているようで、勅撰和歌集の編纂に向けて準備をしていた御子左家(みこひだりけ)でその家の俊成や定家とともに西行が書いたと思われる歌集の筆跡などがそれにあたるということでした。

 それでも、いろいろなものを西行という人物に仮託して物語をつくってきた鎌倉以降の人々と同じように、こんな文字が西行の筆であってほしい、というものが何かあって、西行の生きた時代とは離れた時期の書であっても、それを西行筆と信じてしまいたい気持ちもあります。白州正子の『西行』や能の西行桜、そして高校の国語の教科書にも載っていた西行の桜の歌によって作られた西行像があった上に、今回また2冊の本を読むことでますます混乱した頭には、自分勝手に作った西行がいて、その像にふさわしい文字を選んでいました。

 少し話はずれますが、最近『解体新書』とその後の医学の発展について書いた本を読みました。杉本つとむ先生の『江戸の阿蘭陀流医師』という本です。この本は江戸時代の医学界を考察して、当時の医学を真に進展せしめ、近代医学へと導いたのは単に西洋の医学書を翻訳した杉田玄白らではなく、『解体新書』以前より機会をつかまえては熱心に解剖を行っていた漢方の医師たちであった、ということが述べられていました。
 しかし、一般的には私たちは日本の近代医学が『解体新書』に始まると信じ込んでいます。また、当時の人々の捉えかたも同様だったのではないでしょうか。腑分けをしたと伝えられる杉田玄白らは、実は処刑場の者に解剖の実際を任せ、ターヘルアナトミアの図と同じだということを確認したのみといいます。一方、『蔵志』を著した山脇東洋や、その他の京都の医師たちは自ら執刀したといいます。それにもかかわらず杉田らの翻訳書が注目されたのはその本にあった図の精巧さによるのではないでしょうか。

 現代の日本でも文字より画像や映像が人々に多くの情報を与えています。確かに文字でたどるより、画像・映像が多くを物語る場合も多々あるでしょう。しかし、文字でなくては伝わらないものもあります。
西行の
をろかなる 心のひくに まかせても さてさはいかに つゐのおもひは
などという歌は、画像では、どのようにも伝えられないのではないかと思うのです。吉本隆明の解説によれば、この歌は<おろかなじぶんの心が引きずってゆくにまかせて過したとして、さてそうだったら生涯の終りに臨んだときどんな臨終の心をもてばいいのか>という意味なのだそうですが、迷いや困惑、あるいは信仰の気持ちやいくぶんの諦めのようなものが入り混じった表現がされているように思います。

 最も人間らしいこうした精神活動に必要な「ことば」を手放してはいけません。画像や映像に驚かされることも感動することも悪いことではありませんが、それがすべてではありません。実際、一時は西洋医学一辺倒になった日本の医学は今になって、漢文で書かれた世界である漢方を生活習慣病や難病の治療に利用するようになっているのです。

 細い筆で、小さな紙に刻するように書かれた西行のかな文字をみていて、そうした思いが湧きあがりました。

 昨年も桜の時期に西行の歌をご紹介しましたが、今年もまた少し心にとまったものを書いておきます。

   もろともに われをもぐして ちりぬ花 うきよをいとふ 心ある身に
   山ざくら えだきる風の なごりなく 花をさながら わがものにする
   わび人の なみだににたる さくらかな かぜみにしめば まづこぼれつつ
   よしの山 花のちりにし このもとに とめし心は われをまつらん
   いのちをしむ 人やこのよに なからまし 花にかはりて ちるみとおもはば

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