高句麗の金の仏像
以前から、一度行ってみたいと思っていた韓国中央博物館に行きました。韓国では毎年陰暦の8月15日に秋夕(チュソク)というお盆のような行事があり、今年は9月13日-15日がそれにあたっていましたので、博物館の前には特別なステージが設けられて秋夕のイベントが行われていました。また、テレビのお天気お姉さんや高速道路のゲートに立つお姉さんたちも民族衣装のチマチョゴリを着ていて、伝統的な韓国の顔を見ることができました。
韓国中央博物館は、2005年にオープンした、世界で6番目という規模を持つ新しい博物館です。吹き抜けの広々とした空間には敬天寺十層石塔<国宝86号>という大きな石塔が展示され、威容を誇っています。私の持っていった小さなカメラでは全体が写せず、上と下の半分ずつの写真を撮ってきました。
時間の制約もあって、全館を隈なく見学するわけにはいかなかったので、日本との関わりの深い古代の展示物を中心に見て回りました。1階の展示室は次のような部屋に分かれていました。
101 旧石器室
102 新石器室
103 青銅器・初期鉄器室
104 原三国室
105 高句麗室
106 百済室
107 伽耶室
108 新羅室
109 統一新羅室
110 渤海室
日本での展観では「○世紀 朝鮮」としか表記されないものが、もっと詳しく分類されており、その地域の違いも感じることができました。特に「渤海室」では、コンピュータグラフィックスで渤海の都城の様子が再現されて、緑釉の瓦ぶきの立派な建物があったことが解説されていました。私の持っていた、毛皮をまとった肉食の人々、という渤海のイメージとは違う、高度な技術や仏教国としての渤海のイメージに出会い、新しい発見でした。
韓国中央博物館の英語版の図録では、「渤海の人々は冬には羊や豹の毛皮の服を着ていた。貴人たちは中国や日本から輸入された絹を着ていた。」とあり、日本とは交易があったことがわかります。高句麗の貴族が建てた国で、698年から926年まで存在しました。5つの都を建て、高句麗の文化を引き継いでいたようです。寒い地域なので米作りは行われず、牛馬や豚、海産物を食し、オンドルのある家に住んでいたといいます。渤海の仏像や獅子頭の展示物はとても綺麗に作られていて、彼らの技術の高さがわかりました。
展示や図録の解説には靺鞨(マルガル・まっかつ)や契丹(きったん)という言葉があり、今までイメージの湧かなかったこれらの民族について、ほんの少しだけですが、みえてきたような気もしました。
次には仏教美術の展示を見に行きました。2階の仏教絵画の展示室には1684年に作られたという野外儀式用の釈迦説法図がありました。約9メートル×6メートルという大きさで、鮮やかな色が美しいものですが、中国にも日本にもこのようなスクロール形式の仏画はないようです。韓国にはこのようなものが100ほどもあるといいますから、近世の朝鮮半島ではあちらこちらの仏教寺院がこのような壁掛け型の説法図を持っていて、行事の時に使っていたのでしょう。
仏像の展示室で、最も大切にされているのは、あの広隆寺の弥勒菩薩によく似た半跏思惟像です。東京国立博物館の国宝室のように、この弥勒像だけが足元さえわからぬほどのダウンライトの中に浮かび上がっていました。展示室の広さや天井の高さとも関係するのでしょうが、私にはとても良い照明の具合だと感じられました。精神的なものと向き合うための空間になっているように思いました。それでいて、ガラス張りのケースの中の仏像を背面からも拝見することができました。
もうひとつ、仏像の展示室で、高句麗時代の銘文が書かれた金の仏像が印象的でした。今まで、高句麗の仏像、とはっきり書かれたものを見た経験はほとんどないので、新鮮な驚きでした。539年に千体の仏像が作られたうちのひとつという小さな仏さまで、16.2センチメートルしかありません。金色に輝き、穏やかな笑顔の仏像が、高句麗という国のイメージをまた新しくしてくれました。
そのほかにも、石製や鉄製の大きな仏像があり、興味深く見学してきました。
(写真は上・中=敬天寺十層石塔、下=韓国中央博物館の日本語パンフレット。博物館ではmp3やPDAを使った解説があり、免許証などを預け、使用料を払うと貸し出してくださいます。)
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