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チベットの黄金異形の仏像

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 「聖地チベット ポタラ宮と天空の至宝展」に行きました。北京では故宮博物館、雍和宮、首都博物館のいずれの場所にもこうしたチベットの仏像があったので、東京で行われているこの展覧会が、まるでシリーズの続きのような感じでした。

 とはいえ、北京では短い時間の中で急いで見ていたし、説明文もあまりなかったので、自分が見たものが一体どういう仏像なのかがよくわからずに見学していました。それが東京の上野の森美術館での見学で、だいぶ明らかになりました。

 「吐蕃」と呼ばれた人々がチベットに国を建てたのは6世紀から7世紀にかけてのことで、この展覧会はその頃の国王、ソンツェンガンポ(581―649)の座像から始まりました。このソンツェンガンポ国王は周辺の諸部族を討ち、国土を広げる一方、青海にいた吐谷渾(とよくこん)に学んで冠位十二階を制定したといいます。我が国で冠位十二階を取り入れた聖徳太子は574年から622年という時期の人ですから、同時代の人と言えるでしょう。チベットと日本という離れた場所で、同じように国の制度を考え、新しい国の形を模索していたと思うと興味深く感じます。

 展覧会の入り口では、このソンツェンガンポ像の反対側に「魔女仰臥図」という異様な地図が展示されていました。仰向けになった魔女の身体に山並みが描かれ、そのところどころに寺や城のような建物があるのです。これはソンツェンガンポの妃ネパール王女ティツム妃が、同じく唐から降嫁した文成公主に寺院を建てるべき地を尋ねたところ、公主が八卦占いによってチベットの大地に横たわる羅刹女の手足を押さえる場所を示したという地図でした。

 この二人のお嫁入りも軍事力を背景にしてネパールや唐に迫ったいきさつがあり、チベットの仏教はその最初から政治と深く関わっていたようです。このソンツェンガンポの二人の妃たちは、それぞれ緑ターラーと白ターラーという女神になったという説もあり、今回の展覧会にも17・18世紀のターラー像が出ていました。

 8世紀チベットで仏教が国教化された頃、中国派とインド派の争いがありました。どちらの宗派を国の仏教とするかの論戦が行われましたが、そこで勝ったのはインドの仏教でした。ですからチベットの仏教はヒンズー教の要素の濃いものだということです。また、日本には入って来なかった後期密教の仏像がチベットの中心的仏像になっているとあって、私たちにはなじみのない仏像がたくさんありました。東北インドで11・12世紀に造られたという弥勒菩薩立像も少し腰をひねって踊りを踊りだしそうな雰囲気がありましたし、釈迦如来でさえも片足に重心をかけて、動きのある姿に造られていました。

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 憤怒の表情を持つ像は、日本では天部や明王と呼ばれる仏の守護神たちに多く、そうした神仏が信仰されたのは南北朝以降の乱世に多かったようにも思えます。生きていくことに厳しい時代、安らかな表情の神仏よりも険しい表情の像が信仰されたのではないか、とも思えます。如来を中心として憤怒の表情の像も含む仏の世界をセットで取り入れた空海の頃とはまた違って、その憤怒の仏だけを取り出して本尊とする信仰が増えていったように感じます。(戦国武将が不動明王に祈る場面などが思い浮かびますね)そのように考えるとチベットでこうした憤怒の神仏が拝まれていたのは、この地域のいろいろな意味での厳しさということも関係するように思えました。

(写真は同展の図録表紙とちらし)

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