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湖畔の美術館と近代茶人の遺席

 もう2週間も前のことになりますが、箱根に行って参りました。数えてみたら、子どもたちが小さい頃、入生田の生命の星地球博物館を訪ねてから、もう15年ほども経っていて、こんなに近いのに随分長い間、こちらに足を向けなかったな、と思いました。箱根湯本では桜の咲き始めた早雲寺や川沿いの道を散策しました。バス通りには、15年前、小さい子を連れて入ったら悪いな、と思いながらコーヒーを飲んだおしゃれな喫茶店が相変わらず店を開けていて、以前と同じようにクラシックの曲を流していました。お店が変わらずにあるというのは、嬉しいものですね。

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 箱根湯本からバスに乗って芦ノ湖畔の成川美術館をめざしました。途中の山道の両脇は春の芽吹きを迎えた木々がほんのりとした黄緑色に染まって、幸せな気分になりました。

 元箱根のバスターミナルのすぐ上に成川美術館があります。急な坂の上ですが、ちゃんとエスカレーターが設置されていて、楽に上れます。成川美術館は2010年、4期の展観が予定されており、私が観たのは4月14日までの1期でした。昨年末から始まっていた1期は「初春・花・輝き展」と題されて、現代日本画家の春の花や情景を描いた作品が展示されていました。

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 それぞれにすてきな作品でしたが、私が気に入ったのは堀文子さんの「春の顔」という作品。こっくりしたタッチで、精緻な竹花入れに椿と山吹があふれるように咲いている作品です。また、先ごろ亡くなられた平山郁夫氏の「招提寺盧遮那仏」もありました。ちなみに4月15日からの2期には「悠久の旅人・平山郁夫~本画と素描」と題した平山作品の展観が始まるそうです。その他にも、石本正氏の「舞妓」や加山又三氏の「猫」など、魅力的な絵を見てまわりました。堀文子さんの「春の顔は」人気の絵のようで、絵葉書やクリアファイルにもなっており、もちろん買って帰りました。また、石踊紘一氏の枝垂れ桜のレプリカ色紙も求めました。

 この成川美術館には元箱根港が見渡せる展望台と喫茶室があります。天気の良い日にはもちろん富士山も見えるのですが、残念ながら、日頃の行いの悪い私は見る事ができませんでした。それでも、山と湖の景色は美しく、忘れられない風景です。

 さて、もうひとつ訪ねたのは強羅公園にある白雲洞茶苑です。電車の時刻が迫っていたので、あまりゆっくり拝見することはできませんでしたが、近代の3大茶人、益田鈍翁、原三渓、松永耳庵によって大正の初めに建てられたという茶室です。大きな岩のある露地、待合腰掛から岩の間を登って茶室に入る、仙境を模したかのような変わった茶室でした。茶室と茶室を結ぶ廊下も階段になっていて、このような建物は初めて見ました。

私の持っている『近代数寄者の名茶会三十選』(熊倉功夫:編 淡交社)には、鈍翁、三渓、耳庵らの茶会の様子が載せられています。 昭和13年4月21日、白雲洞の茅葺きの茶室の大炉には釣釜がかけられ、床には親鸞聖人絵巻残欠箱根芦河原ノ段、時代籠花入に山吹の花が活けられ、主人をつとめる原三渓は自慢の「朱根来長方金物付」なる茶箱に、柿の蔕茶碗・銘 木枯、宗旦在判の曲中次、同じく宗旦の茶杓・銘 何似を仕組んでお茶をし、最後には茶箱の上に唐招提寺千手観音光背に附属していた千体仏を安置したといいます。徹底した侘びの組み合わせの最後に奈良時代の彩色された小仏像の取り合わせが見事だったということを、茶会記の筆者・仰木政斎は記しています。

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 大正の初め、いまより箱根にくるのは時間がかかり、不便であったろうと思うのですが、なぜここにこのような一流の茶人たちの集う場があったのでしょう? 茶会記には、呼ばれていなかった松永耳庵がやって来て、再度茶箱の披露になったことが語られ、さらに、その耳庵が正力松太郎との築地での会合を失念していて間に合わず、後日、罰として茶会を催させられたことが語られています。
不便な中、忙しい中、それでも「静かに茶は練られて、一片二片と散る桜花は飛散のためか苔むせる巌上に点々と名画家の筆点を見るような眺めながら、啜り合うこの瞬間が境致」(『雲中菴茶会記』)といった気分を味わうために列車や車を乗り継いで箱根の山に登ったのです。

 帰り途、箱根湯本のはつ花という蕎麦屋に立ち寄りましたが、そこには日本の電力業界の礎を作ったその松永耳庵の写真が飾ってあり、色紙が掲げてありました。最近、日本の地盤沈下が危惧される中、対する中国ビジネスマンたちの即断即決力、ということが話題になります。おそらく、明治から昭和にかけての日本のビジネスマンにも彼ら同様の力があったでしょう。都内と箱根を忙しく行き来した耳庵もそうした実業家のひとりです。もしかすると、即断即決のエネルギーは箱根や小田原の静かな茶室で醸成されて日本の経済を動かしていたのかもしれません。

 日本経済の歯車にさえなっていない私ですが、即断即決を求められているビジネスマンのみなさんには、ときどき、箱根のような自然の空気の中で英気を養ってもらいたいと思いました。


(写真は箱根のガイドマップ、成川美術館パンフレット、白雲洞の茶室の写真です)

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