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大きな銀壺と称徳天皇の夢

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 東大寺大仏展は11月2日から光明皇后が献納された正倉院の宝物の展示が始まり、再度足を運びました。金曜夜の博物館はゆっくりと見ることができて、一週間の仕事を終えた安堵感の中で、のんびりと1300年前の国際都市・奈良に思いを馳せ、美しい宝物を見て回りました。

 正倉院御物の展示はさほどの数があるわけではありませんが、どれも見ごたえのある宝物が並んでいました。
「臈纈屏風 鸚烏武・象木」は、ろうけつ染めのオウムと象の文様を持つ屏風。異国情緒あふれる文様が、いかにも一生懸命唐の文化を取り入れていたという奈良時代らしい品です。唐にはインドや西域の中央アジアの文化も流入して、さまざまな文化の出会いがあり、新しいものが生み出されていましたが、日本も遣唐使を送っては、そうした新しい潮流をつかんでいたのでしょう。
「墨画仏像」の菩薩像も、風をはらんで飛んでいるかのような、動きのある画像で、ひと時代前の飛鳥の仏像とはまったく違っています。唐文化圏には動きのある仏たちが舞い降り、色鮮やかで、華やかなデザインがひろがりました。

 正倉院の宝物として展示されていた桂心(シナモン)の大きな袋もそうしたことを物語っています。桂心は薬として使われていますが、中国の南部や東南アジアで算出する高木の樹皮です。そうしたものが、どのような経路で来たのかはわかりませんが、奈良にあったのです。大仏造営を詔した聖武天皇とともに仏教の国を造ろうとした光明皇后は、施薬院を建てて病の者にこの桂心のような薬を賜ったと伝えられ、今回の展覧会はその光明皇后1250年忌の記念として開催されています。

 国を守ると言われる四天王を信仰し、功徳を積むために市場の生き物などを放生(ほうじょう)し、孤児や独居老人を庇護し、病の者を救うために蒸し風呂や施薬院を建て、そうして大仏と大仏殿を完成させるという事業をした聖武天皇と光明皇后。いろいろな見方はできるのでしょうが、私には本心からわが国の安泰と仏教王国の建設を願っていたように思えます。

 大仏開眼のとき、この聖武太上天皇、光明皇后、そして娘である孝謙天皇がともに手を添えたという縹色の縷もありました。千年を優に超えてなお美しい色ののこる縷に、驚かされました。

 この娘の孝謙天皇は、重祚して称徳天皇となりますが、天平神護3年の2月4日に東大寺に行幸し、甲乙の銀壷を献納したといいます。そのうちの「銀壷 乙」というものも今回、展示されていましたが、ゆったりした形の大きな美しい壷でした。表面には、パルティアンショットといわれる騎馬人物狩猟図や草花、鳥などが彫り込まれていて、目をこらすと、いろいろな文様が浮かび上がりました。唐で作られたとも、新羅で作られたとも、日本で作られたとも、いろいろな説があるようです。仏教国建設を熱心に進めた両親のあとに残り、称徳天皇はこの銀壷にどんな夢を託したのでしょうか? 
重くのしかかるような期待を受け継がれた天皇にも、遠い西の地から伝えられた文様に、目の前の政務や国の経営をふと忘れて、大きな銀壷の周囲をぐるりとまわる、ちょっとした夢を見る時間があったのかもしれないな、と思いました。

 
(写真は同展のチケット)

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