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北京・白塔寺の風景

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 お正月、北京に行ってきました。最低気温マイナス10度、最高気温0度という寒さでした。行きの飛行機からすでに風邪気味だった私は旅行の間中ずっと、手持ちの漢方薬を飲んでしのいでいました。ですから、今回はあまり精力的にあちらこちら歩き回ることはできず、のんびりとしたお正月気分でぶらぶらしてきた、といったところです。

 前門から大柵欗街を歩いて古い北京の繁華街を想像してみたり、王府井でいろいろな店に入ってみたり、景山公園に上って故宮を見下ろしたりしましたが、ひとつ、北京の仏教寺院というものを見学に行きたくて、ガイドブックを探しました。ガイドブックは大柵欗街の新華書店で見つけた『北京古建築地図』という本です。清華大学出版社が出しているので、学術的にも正統な本だろうと思って買ったのですが、この本の装丁が面白いのです。
帯のように巻いてある紙がやけに大きく、よく見ると折ってあります。取り外して広げると、なんとA3くらいの地図になっていました。なんだか得した嬉しい気分になって、大柵欗街の喫茶店に腰を落ち着けて、どこの寺院に行くか、作戦を練ることにしました。

 『北京古建築地図』の本文にもエリアごとのたくさんの地図があり、また、民国から現代にいたる北京の写真も載っています。建築の専門家が書いているので、建物の見取り図などもあり、北京の中国伝統建築やヨーロッパ風建築のいろいろの情報が書いてあります。

 行ってみたいところはいろいろありましたが、地下鉄の駅から簡単に歩けそうなところにしよう、と白塔寺というところにしました。白塔寺は本当の名を妙応寺というのですが、チベット式の白い塔があるので、この通称で呼ばれているようです。創建は遼代、1095年だそうで、当時の名は永安寺。その後、元の祖クビライ(またはフビライ)がネパール出身の技術者を連れてきて白い塔を建てさせ、寺名も大経寿万安寺(大聖…としている資料もあり)とし、元朝の冬の都である大都の重要な寺院として存在していたといいます。

 この大きな元代の伽藍は落雷による火災で焼失し、明代の1457年に再建されました。この寺が妙応寺となり、今に至っているようです。不思議なことに、北海公園の島の中にも清朝の1651年に建てられたという白塔があるのですが、こちらも永安寺という名前。今回初詣でをした白塔寺のもとの名前と同じです。これは、何か理由があるのでしょうか? 日本の薬師寺と新薬師寺のようなものでしょうか? 調べなくてはなりません。

 寺は観光客がぱらぱらといるだけでしたが、寺の警備をしている方が静かな声でお経を唱えていたり、普通の街のお嬢さんのようにみえる女性が、殿舎ごとに膝を折って丁寧な祈りを捧げていたり、やはり信仰が行われているのだと感じました。
中にある仏像は金色に光る明るい表情のものが多いのですが、あまり拝見したことのない仏さまも祭られていました。たとえば、如来や菩薩にまじって元のクビライが座していたり、「大白傘蓋仏母」(だいはくさんがいぶつも、と読むのでしょうか?)という女性的な仏像がありました。仏殿には大きな仏像だけでなく、10センチくらいの小さな仏像も祭られていて、日本では出会ったことのないような金色の御像がガラスケースの壁面いっぱいに並べられていました。

 今回は風邪ひきで、体調がよくなかったので、じっくり見ていく気力に欠けていました。再び訪れて、あの薄暗い仏殿にどんな仏さまがいらっしゃるのか、よく見たいと願っています。
 

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