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岡倉天心の六角堂

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 本当に迂闊なことでした。数日前に、テレビのニュースで茨城県の五浦で、岡倉天心ゆかりの六角堂が再建されたということを取り上げていました。
 なぜ、再建? 私は2005年の5月に六角堂を訪れています。傷んで再建されたのかしら、と、暢気なことを考えていました。

 しかし、考えてみれば、当然のことだったのです。昨年3月11日の津波で私が座って海を見渡した六角堂は流されてしまっていたのでした。
 現在日本橋の高島屋で開催されている「五浦と岡倉天心の遺産」展は、新たに建てられた六角堂の再建記念に開かれています。

 2005年、ワタリウム美術館の主催した見学会に参加して、五浦に行って観た平櫛田中の「岡倉天心先生像」、「活人箭」が入ってすぐのあたりに並んでいました。

 懐かしい思いで進んでいくと日本美術院の主要なメンバーたちの絵がありました。やはり菱田春草は天才です。本名の菱田三男治という名で出してあった習作の絵もすばらしい出来でした。また、あの見学会で上がらせてもらった天心の五浦荘の小襖絵の試作は松を3本描いたものでしたが、すっきりした表現でありながら、味わいのある作品でした。

また、木村武山の大きな杉戸絵はどっしりとした作品でしたし、大観の富士の絵もありました。歴代の「院展図録表紙絵原画」もそれぞれ心ひかれる作品が並んでいました。

「岡倉先生は、いわゆる筆を持たない芸術家でありました。つまり、芸術の上に来るもの、芸術および芸術家を指導するお方だったのです。……」という横山大観の言葉がパネルに展示されていましたが、確かに、この不思議な人物がいなくては、今の日本の美術はまったくちがったものになっていたと思います。それを改めて感じ、この六角堂が大切に受け継がれていくといいな、と思いました。

私はアメリカにもインドにも行ったことがありませんが、天心や日本美術院のメンバーは明治の時代にボストンで作品を展示しその絵を売り、またインドやアジアの美術を見て回ったりしているのです。辺鄙とも思える五浦は世界につながった場所でした。その凄さを今一度思い返して、私たちがなすべきことを考えてみるのもいいことではないでしょうか。

会場では、今度作られる岡倉天心の映画についてのビデオも流されていました。とても期待しています。


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(写真は同展の図録と映画「天心」のちらし表裏です。)

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