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清代の贅沢な会館にみる彫刻の技

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 開封の清明上河園を巡って昼食をとった後には、徐府街にある山陝甘会館というところに行きました。山西、陝西、甘粛の三省の商人たちが集う会館です。会館というのは、同郷の人が旅先の宿としたり、故郷の懐かしい味の料理を肴に酒を酌み交わし、情報を交換しあうところであったそうで、中国のいろいろな都市に各地方の会館が建てられていました。

 バス通りに面した会館の敷地に入ると、外の喧騒がうそのような静かなところで、塀の内側には、関林院と同じように、「忠義仁勇」と大きく書かれ、それはそれは細やかな石と木の彫刻で飾られた建物群がありました。日光の陽明門と同様、いやそれ以上かもしれないと思われる精緻で、鮮やかな彫刻です。

 会館は今でいえばビジネスマンの集う高級クラブのようなところであったのか、そこに集まる人々のプライドを満足させ、また、そこに招待される客人を圧倒する美しさを持つ場所であったのかもしれません。


 昔から中原を制する者は国を制覇すると言われており、その中原とはここ河南のことです、と中国人ガイドの羅さんが解説してくれました。それは、河南には人が多く、大穀倉地帯であり、黄河を中心とした水運があったから、ということです。確かに、鄭州から北の端の街、安陽に行く間、3時間以上の高速道路の両脇はほとんどトウモロコシ畑でした。


現代の政治家たちもこの中原には関心をよせていて、山陝甘会館にも多くの共産党幹部が訪れているとのことで、記念写真がたくさん貼ってありました。

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 この美しい建物は故郷を大切にし、その人脈を大切にしていた人々の気持ちが感じられるものでした。今の日本人に、そのような気持ちがあるかしら、とちょっと考えました。


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