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悲しくも美しい留守宅――西逓と宏村

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10月の中旬、世界遺産の西逓と宏村という所に行きました。仕事の関係で中国に行き、世界遺産であるこれらの村や同じく世界複合遺産という黄山に行く機会に恵まれました。

黄山のある安徽省はお茶と硯の産地という山の中の土地で、その黄山の麓にあるこの二つの村は今なお明や清の街並みを残す村として静かな文化遺産として保存されているところだといいます唐の遺民が隠れ住むために建てた村、と言われる西逓。宏村では今なお静かな佇まいで、村の中心にある水場では女性が木の棒を使って洗濯をしており、観光客もその細い路地をタイムスリップしたような感覚を持ちながら歩きます。

古い建物は白い壁と灰色の瓦、細やかな美しい石彫でできています。家の中心にある部屋には半円のテーブルが両端におかれ、中央の棚には「終生平静」という意味と同じ音に変えて鏡と花瓶と時計が並んでいます。

ガイドの周さんの説明では安徽省の男性は安徽商人として土地を離れ、遠いところへ旅をして歩いたといいます。そして、主人の留守宅ではその間、半円のテーブルを部屋の両端に置いて食事をし、主人が無事旅から帰れば半円のテーブルをふたつ合わせて丸い卓として部屋の中央で食事をしたといいます。

美しい石彫や立派な祖先供養の部屋を持ちながら、この村で暮らした女性たちの気持ちを思えばなんとも辛い暮らしのようにも感じられました。長い時間を女性たちは何を思いながら暮らしたのでしょう? 静かな村と美しい景色と先祖から代々続く祈りの場とが何を与えてくれたのでしょう?

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建物の中に、氷の割れるような模様の扉を持つ部屋がありました。これは氷の中に閉じこもるような気持ちで必死に勉強し、科挙合格をめざせという意味で、受験生である若い青年の部屋だったといいます。そして、安徽省は歴代の科挙合格者を多く輩出してきた土地でもあるというのです。

仕事で旅に出てしまう夫といつか出ていく息子を見守った女性たちの人生の場であった村。家族とは彼女たちにとって、何だったのかと考えました。これらの村の美しさがその彼女たちを慰めるせめてもの道具立てであった、といっては言い過ぎなのでしょうか。

それにしても、黄山の麓では渓の奥、かなりの高度のところまでに茶畑が作られており、この山がちの土地での人々の暮らしや意気を感じました。

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