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清水三年坂美術館でみた京薩摩

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 昨年の11月、京都に行った折、清水寺近くの三年坂にある美術館で京薩摩という焼き物をみました。京都に着いてからどこかでポスターを見かけて、興味を持ちました。紅葉の季節、夕方の五条坂はたいへんな人混みで、閉館時間を気にしながらようやく美術館を見つけた時はすでに閉館の20分前という時でしたが、なんとか入れていただきました。

 京薩摩というのは明治になって輸出用に作られた焼き物だそうですが、金が使われ、非常に緻密な文様とアールヌーボーに影響を受けた形でありながら、やはりどこかに薩摩焼の色や肌合いがあるというものです。金が使われているというと、安っぽい飾り過ぎの壺を思い浮かべてしまうかもしれませんが、陳列されていた京薩摩はどれも上品な光沢の美しいものでした。

 文様を見るために、傍らにルーペが添えられているほど、細かい細かい模様で、当時の職人たちの技の凄さを感じます。慶応3年(1867)のパリ万国博覧会では薩摩藩が単独で参加し、その薩摩焼が賞賛を浴び、薩摩焼は輸出品の花形となっていきました。京都の錦光山と大阪の藪明山が有名な窯で、今回も素晴らしい作品が出陳されていました。

美しい器と共に当時の職人の写真が掲げられていましたが、上半身裸で、轆轤に向き合っている図だったと思います。陳列ケースの中の完成された器とその職人のいた現場との対比に、正直、軽いとまどいを感じました。このような器は、現代の私たちの感覚では人間国宝のような作家が静かなアトリエで作り出しているように感じていたからです。それでも、写真の職人の手先にはとても美しい研ぎ澄まされた形の器が生まれていました。

 しかし、モノを作り出す場というものは決してそのように静まりかえってなどいないのでしょう。テレビで映し出される人間国宝の作家さんたちも、本当はもっと必死で、汗をかいて仕事に取り組んでいるのかもしれません。静かなアトリエは映像がつくり出した思い過ごしかもしれないのです。

 清水三年坂美術館の館長、村田理如(むらた まさゆき)氏の著書『世界を魅了した日本の技と美 幕末・明治の工芸』(淡交社)という本を買って帰りましたが、そこには京薩摩だけでなく、明治期の七宝焼、金工品、漆芸品、刀剣が採りあげられていました。当時、貧しかった日本は必死で国の富を築きあげていこうと持てる力を振り絞っていたのでしょう。紹介されている工芸品は恐ろしいほど精緻で、隙のない美しさです。これまでこの隙のなさが、かえってこの時代の工芸品を魅力のないものにしているのではないか、と思っていた私は、反省しました。これは、やはり時代の気分でもあったのだと考え直しました。

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 江戸時代から受け継いだ技術をどのようにして自分たちの強みにしていくのかを、当時の人たちは突き詰めて考えていたのではないでしょうか? そのことを思えば、凋落の兆しが見えるなどと言ったところで、まだまだ受け継ぐ素晴らしいもののたくさんある日本、明治人に負けずに頑張らなくてはいけないな、と感じました。

 それにしても、有名な清水寺という観光地のそばにこのような素敵な美術館があって、本当に嬉しいことだと思いました。世界からおいでになる皆さんにも是非観ていただきたいですね。

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