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王羲之の実像と伝説

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先月のことでしたが、上野の東京国立博物館で開催されている「書聖 王羲之」展を観に行きました。1時間目のテストを受け、ヤマがはずれたのか少々浮かぬ顔をした息子と公園口で待ち合わせをして博物館に向かうと、お正月用の幕と円空のポスターが目に入りました。円空に向かう人と王羲之に向かう人は半々くらいでした。

 以前、偶々、やはり東京国立博物館で行われた「蘭亭序」の展観を観たことがある息子は「今回も見に行こう」と言ってやってきました。書道をやっているわけでもないのですが、偶然にせよ観たものとの縁を大切にしているようです。

 展示の最初に『世説新書』(世説新語)がありました。大学の頃、よくわからずに演習をとって苦労した思い出の本です。説明書きに「後漢から東晋にいたる名士のゴシップ集」とあり、言いえて妙だと笑ってしまいました。この本の中に、王羲之のエピソードは45条もあるそうです。エピソードが多いのも人気者の印でしょうか。

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 展示や音声解説では実際の王羲之の歩んだ人生が説明され、彼がどのような書を手本にしたか、彼の周囲の人がどのような文字を書いたのか、どのような時代に生きていたのかが示されていました。エリート貴族の坊ちゃんとはいえ、ひとつ間違えれば政争に巻き込まれて命を落とす危険のある時代、王羲之は務めを果たしつつ晩年の田園生活まで歩みました。

 図録の解説には、浙江省の金庭に住まいした晩年、王羲之は「私はついに楽しみのうちに死ぬだろう」と語ったとあり、命がけの務めを終えて俗世からようやく逃れた嬉しさのうちに家族とともに暮らしていたといいます。そして、この時期にこそ、王羲之の美しい書が生まれたということです。

 後半は王羲之が伝説となり、「蘭亭序」が幾人もの能書家たちに写されていきます。時代をこえて人々が憧れた文字の魅力は一体なんなのだろう、と考えました。また、漢字がその成り立ちのままに甲骨文字のままであったら、中国の歴史も日本の歴史も変わっていたのではないかと感じました。会場にはNHKの番組「中国文明の謎」でも取り上げられた文字の刻まれた青銅器がありましたが、当初、神の宣託を受け取るために使われた甲骨文字が部族間の契約の印となり、さらに人と人の心をつなぐものとなっていったことは、文字が次第に形を変えていったことと無関係ではないような気がしたのです。
不思議なことに、行書や草書の読めない崩し字でさえ、息子も私も美しいと感じます。そういう意味以前の美しさがあるからこそ、人々は文字を書き、文字を練習し、文字をやり取りして文明文化を発展されてこられたのではないかと思いました。

 新発見資料 王羲之尺牘 大報帖(おうぎしせきとく たいほうじょう)も公開され、見ごたえのある展覧会でした。(特別展は3月3日まで) また、ずっと閉じられていた東洋館がこのお正月から開けられており、久しぶりにアジアの文物をみて歩きました。元時代のつづれ織りである緙絲(こくし)というものがありましたが、美しいものでした。(3月24日まで)これからも東洋館のいろいろな展示替えに期待します。


(写真は同展のちらしです。)

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