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2015年11月29日 (日)

ボロブドゥールと二つの寺院

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Candi Pawonの写真

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Candi Mundut へ

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ボロブドゥール寺院からの帰り道には二つの寺院に寄りました。Candi Pawon(チャンディ・パオン) とCandi Mundut(チャンディ・ムンドゥッ)です。両寺院ともボロブドゥール寺院同様、8世紀に建てられたということです。また、年に一度、5月には満月の夜にこの3つの寺院で祭りが行われるとガイドさんが教えてくれました。ボロブドゥール、パウォン、ムンドゥッの3つの寺院は一直線上に並んで建てられており、何か大きな世界観を持って配置されているのかもしれません。

 

Candi Pawon(チャンディ・パウォン)は中には入れず、芝生の上に立つ建物を周囲から眺めるだけですが、お堂の壁には菩薩形の人物が彫られており、飛天や半人半鳥のキンナラ(緊那羅)がお堂の外壁を飾っています。小さなお堂ですが、芝生のところどころにはブーゲンビリアなどの花も美しく咲き、仏教徒のほとんどいなくなった今も世界遺産として、大切にされているように見えました。

 

ところで、壁に描かれる鳥の脚をした緊那羅は、豊かに葉が茂り、果実もみのる木の下の左右に描かれています。美しい声で歌う仏の眷属として知られていますが、Candi Pawonのキンナラは胸の描き方が違うので、左が男性、右は女性のようです。漢字では区別しませんが、タイ語などでは女性形の緊那羅はキンナリーと呼ぶそうで、こちらは天女の姿で舞い降りて、歌を歌うとも伝えられているといいます。

 

わが国、興福寺の八部衆にも緊那羅がいますが、この奈良時代の像は三つ目とはいえ、人間の姿をしており、少年のような風貌で造られています。仏教が伝わる中で、キンナラ・キンナリーは少しずつ姿を変えたり、役割を変えたりしているようですが、美しい歌声であるところからすると、樹上で鳴く鳥の声に、天からの贈り物だと感じた古代の人々の感覚がこのような眷属を生み出したのでしょう。

 

また、キンナラ・キンナリーの中央に立つ樹木は、イスラム美術でよく拝見する「生命の樹」にも見えます。人の姿を偶像化することを禁じたイスラムの世界ではキンナラたちの姿はありませんが、豊かに茂る樹木や果実のイメージは広がっていったのかしら、とも思いました。

 

次にCandi Mundut です。とても大きなガジュマルの樹の向こうに修復中のお堂が見えました。Candi Pawonより大きく、お堂の中に入ることもできました。お堂の入り口左右には帝釈天と訶梨帝母(かりていも)のレリーフがあります。

 

訶梨帝母はインドではハーリティーという女神で、日本では鬼子母神として知られています。人の子をさらって食べていた訶梨帝母に、釈迦は500人いた彼女の子のうち、末子ひとりを隠してしまいます。世界中を半狂乱になってわが子を探す訶梨帝母に、釈迦は子を失う親の悲しみを教え、人間の子をさらうことをやめさせたといいます。そんな訶梨帝母は、子育てや安産の神様として信仰されてきました。チャンディ・ムンドゥッのレリーフには子供たちに囲まれながら赤ちゃんを抱く優しい表情の訶梨帝母が描かれていました。子供たちは木登りしたり、果実に手を伸ばしたりしています。反対側のレリーフも子供たちが帝釈天にまとわりついたり、目隠しをして遊んだりしています。本当に幸せな風景ですね。

 

ところで、日本の鬼子母神というと柘榴を持っています。これは吉祥果とあった言葉を中国で訳すときにザクロにしたから、とウィキペディアにありました。中国、日本では訶梨帝母といえば柘榴ですが、ここインドネシアでは違うのかもしれません。レリーフの樹木にも果実がみのっていますが、右の樹はビワのようにも見え、左の樹は柑橘類のようにも見えます。何を表しているのでしょうか? 因みに訶梨帝母自身は何の果実も持っていない図像でした。

 

お堂の中には3体の大きな仏像がありました。中央は正面を向く如来像。左右は向かい合って座る半跏像の菩薩です。どの像も健康的な若々しい体躯で、明るい表情の像でした。如来像は転法輪院を結んでおり、日本ではあまり見ない姿でした。左の菩薩像は右手を与願印、左手を施無畏印にし、右の菩薩像は右手の平を上に向け、左手を下におろし、触地印でもないような姿で、私にはよくわかりませんでした。

 

如来像はその明るい印象や姿勢の良さのせいか、最初、東京深大寺の倚像に似ているような気がしました。帰宅して画像を比べてみれば目の細さ、体躯のゆるい具合、印相も違うのですが、倚像であること、台座にかかる裳裾の表現、姿勢よく正面を向いているところはやはり似ています。菩薩像は美しい宝冠や腕釧、足首にも飾りをつけ、端正な顔をして、なかなかのイケメンです。このイケメン風は東寺の仏像群にも見られます。深大寺は7世紀、チャンディ・ムンドゥッは8世紀、東寺の立体曼荼羅の仏像は9世紀、仏教文化がどのようにアジアに広まったのか、気になるところです。時代とともに地域ごとに少しずつ変化した像を見ることはその流れを考える上でとても面白いことです。


(写真はムンドゥッ寺院の訶梨帝母のレリーフ)

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